2022年6月9日
はじめに
前号(2022年5月19日付AVP第40号)に引き続き、日本の安全保障のあり方を論じる。[i] 本号でテーマとするのは、最近酷評されている「専守防衛」である。
日本では過去4ヶ月近くの間、朝から晩までウクライナ報道一色。政治家も専門家も国民も頭に血が上った状態にある。その興奮状態の中で、専守防衛を血祭りにあげようとする輩が出てきた。国民の方も冷静さを欠いているから、〈専守防衛では日本は守られない〉と思い込む人がどんどん増えている。だが、待ってほしい。専守防衛は本当に役立たずの欠陥品なのか?
私は本稿で、言われなき非難を受けている「専守防衛」を弁護する。せめて、「専守防衛とは何か」を正しく理解してから、その評価を下してもらいたい。
専守防衛バッシング
専守防衛を見直すべきだ、という議論自体は今に始まったものではない。例えば、2005年1月に日本戦略研究フォーラム(瀬島龍三会長)は、専守防衛という用語を使うのをやめるよう提言している。しかし、保守陣営の一部の叫びに国民世論が反応することはなかった。だが近年、風向きは変わってきた。
≪湧き上がる専守防衛批判≫
安倍晋三氏は〈戦後レジームからの脱却〉を主張し、戦後日本に科せられた軍事の制約をはずすことを宿願としている。彼は首相在任時から「自衛隊は憲法違反である」というイメージを広め、憲法改正の機運を盛り上げようとしてきた。[ii] 専守防衛についても、マイナス・イメージの拡散に余念がなかった。以下は2018年2月14日の衆議院予算委員会における安倍の答弁である。
専守防衛は、純粋に防衛戦略として考えれば大変厳しいものであるという現実であります。(中略)それは、相手からの第一撃を事実上甘受し、かつ国土が戦場になりかねないものでもあります。その上、今日においては、防衛装備は精密誘導により命中精度が極めて高くなっております。一たび攻撃を受ければこれを回避することは難しく、この結果、先に攻撃した方が圧倒的に有利になっているのが現実であります。
その後、中国脅威論の高まりや北朝鮮の度重なる核・ミサイル実験を受けて、安倍のような主張は徐々に浸透していった。今年2月にウクライナ戦争が始まると、専守防衛批判は一段の広がりを見せることになる。JNN(TBS系列)が5月7~8日に行った世論調査では、専守防衛について「見直すべき」が52%、「見直すべきではない」が28%であった。[iii]
≪自衛隊OBの批判≫
最近は、自衛隊OBも専守防衛をあからさまに批判するようになった。例えば、折木良一元統合幕僚長は「単純に言えば、専守防衛は受動的である以上、敵を日本に迎え撃つことが前提になる。現実問題として、国民の犠牲を前提にすることを、果たして国民が許容するだろうか」と問いかける。[iv]
ウクライナ戦争が起きると、香田洋二元自衛艦隊司令官はテレビに出演して次のように述べた。[v]
押し寄せてくるロシア軍を領土内で押し返すのが精いっぱいのウクライナの戦いは、今まで日本が70年間言ってきた専守防衛と同じ図式。大国ロシアは本土がやられないから、限りなく何波も攻めてくる。(中略)専守防衛の典型的事例です。特にミサイル攻撃、長距離砲で病院とかを、狙った狙わないは別にしても、最終的に国内のインフラのほとんど、コンクリートの建物のほとんどが破壊される、という中で防衛戦をやらなければならない。それが専守防衛なんです。
戦争のプロであるはずの元自衛官や現職の総理大臣(当時)からここまで言われれば、「専守防衛じゃあ駄目だな」と思う人が増えるのも無理はない。しかし、専守防衛をもっともらくし批判する自称プロたちは、〈専守防衛の何たるか〉を全然わかっていないか、わかったうえで敢えて曲解しているのか、のいずれかである。
専守防衛の定義
そもそも、「専守防衛」とは何なのか? いい加減な連中の言説ではなく、政府の公式見解に当たってみよう。
≪専守防衛の誕生≫
「専守防衛」という言葉が一番初めに使われたのは、自衛隊発足の翌年となる1955年のこと。杉原荒太防衛庁長官が「(航空自衛隊については)厳格な意味で自衛の最小限の防衛力を持ちたい。 [中略] 決して外国に対し攻撃的・侵略的空軍を持つわけではない。 もっぱら日本の国を守る。 もっぱらの専守防衛という考え方でいくわけです」と述べた。[vi]
1972年には、田中角栄総理大臣が「専守防衛は、 防衛上の必要からも相手の基地を攻撃することなく、もっぱらわが国土及びその周辺において防衛を行なうことであって、 わが国防衛の基本的な方針であ」る、と述べた。政府が憲法9条の下で許される自衛隊の態勢を模索し、当時の不安定な政治・社会状況の中で〈低姿勢〉に徹していたことが窺われる。
≪専守防衛の3要素≫
その後、1981年に大村襄治防衛庁長官や伊藤正義外務大臣の答弁によって現在の定義がほぼ出来上がった。[vii] 現在の専守防衛の定義については、2021年度の防衛白書から以下引用する。
専守防衛とは、相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢をいう。
上記の説明は、田中答弁と比べて随分と抽象度が高く、様々な解釈が可能なものになっていることが一目瞭然だ。
専守防衛の定義が田中答弁のようなものであったなら、専守防衛の下で敵基地攻撃能力を持つことなど論外である。前節で見た自衛隊OBの批判も〈むべなるかな〉と言える部分が少なくなかったであろう。だが現実には、時間軸の上からも、直近の防衛白書に書かれていることからも、田中答弁が上記によって上書きされていることに疑念を挟む余地はない。
次に問題となるのは、現行の専守防衛の定義をいかに解釈するか、である。専守防衛とは、要するに「憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢」のことを言うが、それに対して以下の3つの修飾がかかっている。
- 武力行使を開始するタイミング=相手から武力攻撃を受けたとき
- 武力行使の態様=自衛のための必要最小限にとどめる
- 保持できる兵器=自衛のための必要最小限のものに限る
次節以下では、この3点の内容を順番に検討する。国会答弁の引用が多いため、船酔いしそうになるかもしれないことを予めお断りしておく。
攻撃されるまで攻撃できないのか?
専守防衛の下、日本が武力行使を開始できるのは「相手から武力攻撃を受けたとき」となっている。これはどういうことなのか?
≪「着手」という概念≫
1999年3月3日に野呂田芳成防衛庁長官(当時)が行った説明によれば、「わが国に対する武力攻撃の発生」した時点とは「侵害のおそれがあるときではなく、また、わが国が現実に被害を受けたときでもなく、侵略国がわが国に対して武力攻撃に着手したとき」である。野呂田は「わが国に現実の被害が発生していない時点であっても、侵略国がわが国に対して武力行使に着手しておれば、わが国に対する武力攻撃が発生したことと考えられ、自衛権発動の他の2つの要件を満たす場合には、わが国としては、自衛権を発動し、(中略)攻撃することは法律上可能となる」と説明した。[viii]
平たく言えば、「単に武力攻撃のおそれがあるというだけでは、自衛隊はまだ相手を攻撃しては駄目。でも、相手が日本に対して武力攻撃を行ってくることが間違いない、という状況であれば、我が国に対する攻撃が実際に起きる前であっても、自衛隊は相手を攻撃してよい」ということだ。これは、極めて常識的な考え方である。刃物を持った暴漢に襲われた時、「刺された後でないと相手を傷つけてはいけない」と言っていたら、正当防衛の余地はなくなる。しかし、相手が怒鳴りつけてきたくらいで先に手を出せば、過剰防衛とみなされて正当防衛は認められない。
≪「着手」とは何時なのか?≫
では、何を以て相手が武力行使に着手したとみなすのか? 2003年5月7日、石破防衛庁長官(当時)は「東京を火の海にするぞと言ってミサイルを屹立させ、燃料を注入し始め、それが不可逆的になった場合というようなのは、一種の着手であり不可逆的な状態なのだろう」と答弁した。しかし、これは一つの例示に過ぎない。
政府の公式見解は「どの時点で相手が武力攻撃に着手したかについては、そのときの国際情勢、相手国の明示された意図、攻撃の手段、態様など様々な事情を勘案して判断する必要があるので、一概には言えず、個別具体的に判断すべきものである」というものだ。[ix] 政府が「個別具体的に判断」と言う時は、いざとなったら柔軟に判断する、という意味だと思っていてよい。
当然ながら、相手の着手が事前に確認できない事態も起こり得る。その場合、日本の武力行使は〈我が方が攻撃を受けて被害が生じた後〉に始まる。ただし、それは専守防衛というドクトリンの落ち度ではなく、インテリジェンス(諜報)の問題だ。なお、着手が確認できない(=相手の攻撃が切迫していると言えない)状況で先に武力行使に及べば、侵略とみなされ、国際法違反となることは言うまでもない。
【コラム:先制攻撃と予防攻撃】
日本では一般に、「先制攻撃=国際法違反=やってはならない」と考えられている。これは、政府が戦後の国会審議の中で世界の主流となる用法から乖離した形で「先制攻撃」という用語を使ってきたことの影響が大きい。
世界の主流となる考えでは、先制攻撃(preemptive attack)とは〈敵の攻撃が切迫していることが確かな場合に、先に攻撃を仕掛ける〉ことだ。国際法上も容認されるという説の方が多い。[x] 例としては、六日間戦争(第3次中東戦争)が挙げられる。[xi]
これに対し、予防攻撃(preventive attack)は〈敵の攻撃の切迫性が十分に高くない場合に、先に攻撃を仕掛ける〉ことである。こちらは国際法上、違法という考え方が支配的だ。1981年にイスラエルがイラクのオシラク原子炉を空爆した事件が典型例である。[xii]
日本政府が〈相手に武力行使の着手があれば、それが武力行使の起きた時点である〉としているのは、前者の〈敵の攻撃が切迫している時に行われる先制攻撃は国際法違反ではない〉という考え方に通じるものと言ってよい。
ところが、日本政府は「未だ武力攻撃が発生していないのに武力攻撃のおそれがあると推量されるだけで他国を攻撃する」ことを〈先制攻撃〉と呼んでいる。これは世界基準で言えば、〈予防外交〉に近い。そのことによって、ただでさえわかりにくい着手の議論は混迷の度を深めてきた。
安保法制の国会審議では、岸田外相(当時)が「国際法上は、予防攻撃も先制攻撃も認められておりません。これは国際法に違反するものであります」と断言した。その後、政府は「いかなる事象がそうした国際法上違法な「先制攻撃」や「予防攻撃」に当たるかについては個別具体的に判断する必要がある」と付け足したが、わかりにくいことこのうえない。[xiii] 先制攻撃と予防攻撃の用法は、国際基準に合わせるのが当たり前であろう。
相手領土を攻撃できないのか?
専守防衛には、日本の領土内や公海・公空で敵を迎え撃つというイメージが強くある。基本はその通りである。しかし、〈専守〉防衛である以上、相手国の領域を攻撃することはまったくできないのかと言うと、そんなことはない。
≪座して自滅を待つ、ではない≫
今から66年前、1956年2月29日に鳩山一郎総理は下記のような政府統一見解を示している。[xiv]
わが国に対して急迫不正の侵害が行われ、 その侵害の手段としてわが国土に対し、 誘導弾等による攻撃が行われた場合、 座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とするところとは考えられない。 そのような攻撃を防ぐのに万やむを得ない必要最小限度の措置をとること、 たとえば誘導弾等による攻撃を防御するのに、 他に手段がないと認められる限り、 誘導弾等の基地をたたくことは、 法理的には自衛の範囲に含まれ可能であるというべきである。
≪自衛権行使の地理的範囲≫
より一般化された見解としては、1985年9月27日に出された政府答弁書(下記)がある。[xv]
我が国が自衛権の行使として我が国を防衛するため必要最小限度の実力を行使することのできる地理的範囲は、必ずしも我が国の領土、領海、領空に限られるものではなく、公海及び公空にも及び得るが、武力行使の目的をもって自衛隊を他国の領土、領海、領空に派遣することは、一般に自衛のための必要最小限度を超えるものであって、憲法上許されないと考えている。仮に、他国の領域における武力行動で、自衛権発動の三要件に該当するものがあるとすれば、憲法上の理論としては、そのような行動をとることが許されないわけではないと考える。
ここで言う「武力行使の目的をもって武装した部隊を他国の領土、領海、領空に派遣すること」はいわゆる海外派兵のこと。憲法上、海外派兵は禁止されているというのが歴代の政府解釈である。ただし、先人たちは憲法の精神を守りつつも、「一般に」という言葉を入れることによって海外派兵を全否定せず、将来起こりうる危機管理上の対応として他国領域に自衛隊を派遣できる余地を微妙に残していた。あとは時の政府がどのような政策判断を下し、国民がそれを受け入れるか否かに委ねられている、というわけだ。
中距離ミサイルは持てないのか?
専守防衛の下では、「保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限る」ことになっている。では、敵基地攻撃に必要な中距離ミサイル(射程500~5,500㎞)などを持つことはできないのか? 結論を先に言えば、これも政府の考え方次第であり、事実上は既にクリアされている。
≪必要最小限度は変わり得る≫
1978年2月14日に政府が出した統一見解では、「憲法第9条第2項が保持を禁じている『戦力』は、自衛のための必要最小限度を超えるものである」というトートロジー(同義語反復)を枕詞にしながら、「憲法上の制約の下において保持を許される自衛力の具体的な限度については、その時々の国際情勢、軍事技術の水準その他の諸条件により変わり得る相対的な面を有する」とされた。
ただし、政府(福田赳夫内閣)はこの時、「性能上専ら他国の国土の潰滅的破壊のためにのみ用いられる兵器」については「いかなる場合においても、これを保持することが許されない」という制約をかけた。具体的には、大陸間弾道ミサイル(ICBM)、長距離戦略爆撃機、攻撃型空母は「いかなる場合においても、これを保持することが許されない」と述べている。[xvi]
とは言え、この禁止リストは40年以上前に示されたもの。ICBMや戦略爆撃機などが「他国の壊滅的破壊のためにのみ用いられる兵器」と言えるのかについても、疑問を挟もうと思えば挟める。政府がこの禁止リストを変えようと思えば、変更は可能だと私は思っている。
≪専守防衛と中距離ミサイル≫
我が国は2020年12月18日の閣議決定によって、スタンド・オフ・ミサイル(射程500~900㎞)の配備や12式地対艦誘導弾の改良(射程2,000㎞に達する可能性あり)を既に決めている。[xvii] これらの兵器は、運用方法によっては他国の領域に届き得る。しかし、政府は次のように述べて、スタンド・オフ・ミサイル等の保有に問題はないとした。[xviii] 敵基地攻撃能力として中距離ミサイル等を保有することについても、「専守防衛だから駄目」ということにはならないだろう。
スタンド・オフ・ミサイルは、我が国防衛に当たる自衛隊機が相手の脅威の圏外から対処できるようにすることで、自衛隊員の安全を確保しつつ、我が国を有効に防衛するために導入するものであり、あくまでも、専守防衛の下、国民の生命・財産と領土・領海・領空を守り抜くため、自衛隊の装備の質的向上を図る観点から導入するものであることから、これを保有することは、自衛のための必要最小限度の実力を超えるものではない。[xix]
かつて小泉純一郎総理は「自衛隊の行くところが非戦闘地域」と言った。これも、「日本政府が保有する兵器なら、自衛のための必要最小限度に収まる」と言っているように聞こえなくもない。事実上、なし崩し状態と言ってよい。
≪専守防衛と核兵器≫
1978年時点で政府が例示した「いかなる場合においても、これを保持することが許されない」兵器の中に、核兵器は含まれていない。
同年の政府答弁は「核兵器であっても、仮にそのような限度(=自衛のための必要最小限度)にとどまるものがあるとすれば、それを保有することは、必ずしも憲法の禁止するところではない」と明言しており、この見解は今日も生きている。[xx] 日本が現在、核兵器を一切保有していないのは、専守防衛の帰結ではなく、非核3原則という別の政策に拠るものだ。
つまり、日本を取り巻く安全保障環境が緊迫し、米軍の核抑止にも不安が出てきたような場合には、戦略核兵器を大量に持つことはできないにせよ、(小型の)戦術核を何発か持つことは(政府がその気になって非核3原則を放棄すれば)専守防衛の下でも不可能ではない、ということ。[xxi] 専守防衛が如何に柔軟性を隠し持った概念か、ということを思い知らされる。
均衡原則と必要最小限
専守防衛にケチをつけたがる人は、様々な理屈を持ち出してくる。2022年5月7日付の産経新聞は、以下のように主張した。[xxii]
先制攻撃を禁じる国際法(ママ)と専守防衛の違いは何か。[xxiii] 国際法が認める自衛権行使の条件は、武力行使以外に自衛の手段がないこと(必要性)と、受けた攻撃に対してバランスのとれた形で行使すること(均衡性)だ。専守防衛は、さらに武力行使を「必要最小限度」にとどめるよう求める。わかりやすく例えれば、国際法ではミサイルを100発撃たれたら100発撃ち返せるが、日本は相手が攻撃を中断するための必要最小限度が2、3発なら、2、3発で済ませなければならない。
≪産経新聞のデタラメ≫
専守防衛における「必要最小限度」の方が国際法の「均衡原則」よりも制約的が大きい、と言う産経新聞の指摘は間違っていない。それは政府も認めるところだ。[xxiv]
しかし、産経の例え話は、漫画チックなデタラメである。国際法の必要原則と均衡原則は〈攻撃を受けた国は、直面する脅威に対処するため、合理的に考えて必要と判断されることを行うことができる〉ということ。相手と同じ数しかミサイルや弾丸を撃てない、という意味ではない。[xxv]
専守防衛における「必要最小限度」の理解も間違っている。仮に産経が言うように、日本がミサイルを2、3発撃ち返した結果、相手のミサイル攻撃が一旦中断されたとしよう。その中断が継続する保証がないのに日本が「撃ち方やめ」にしたら、日本の武力行使は「我が国の存立を全うし、国民を守る」ための必要最小限度を全うしたことにならない。相手のミサイル攻撃の中断が再開する可能性が高いと判断できるようなら、日本は必要に応じて100発でもそれ以上でも撃ってよい。
では、日本がミサイルを2、3発撃ったことによって、相手国政府が軍に攻撃中止を命令したり、我が国に停戦協議を申し入れたりしてきた場合はどうか? それでも日本がミサイルを100発まで撃ち続けることは、必要最小限度を超えている。専守防衛を逸脱した行為であり、許されない。しかし、日本がミサイルを2、3発しか撃たずに相手の戦意を挫けたのであれば、日本にとっては万々歳と言うべき事態だ。
産経に限らず、専守防衛を批判する人たちの根本的な誤りは、必要最小限度の〈最小〉だけを強調して〈必要〉の部分を意図的に無視することにある。
台湾有事と専守防衛
2015年に安保法制が成立するまで、我が国は集団的自衛権の行使をいかなる形でも認めてこなかった。本稿で説明してきた専守防衛に関する政府見解も、そのほとんどは日本が外国から攻撃を受けて個別的自衛権を行使することを想定したものであった。
だが今日、日本が武力を行使するシナリオとして最もあり得るのは、台湾有事が起きて米国が軍事介入を決め、日本も米国と行動を共にするケースである。専守防衛の下で集団的自衛権の行使として武力を行使する場合でも、本稿で見たような解釈が適用されると考えてよいのだろうか?[xxvi]
≪専守防衛と集団的自衛権≫
本年5月17日に立憲民主党の長妻昭衆議院議員が出した質問主意書によって、その答がイエスであることがはっきりした。[xxvii] 台湾有事がきっかけとなって日本有事が起きる事態にあてはめ、私なりに嚙み砕いて説明すれば、以下のように言える。
台湾有事に絡む形で日本が武力行使に至るとすれば、台湾周辺に展開する米軍と中国軍の間で戦闘が起きて日本が集団的自衛権を発動(存立危機事態)する場合か、台湾有事で米軍の発進基地となる在日米軍基地等が攻撃を受けて個別的自衛権を発動(武力攻撃事態)する場合か、または両者が同時に起こる場合である。[xxviii]
いずれの場合も、米軍が実際に攻撃を受けて被害が生じる前であっても、中国側が武力攻撃に〈着手〉したと認められれば、自衛隊は中国軍を攻撃することが可能だ。
そして今後、日本が所謂〈敵基地攻撃能力〉を保有するようになれば、個別的自衛権の行使としてであれ、集団的自衛権の行使としてであれ、自衛隊は中国本土の軍司令部、補給拠点、(場所がわかれば、という前提で)ミサイル車両等を攻撃することもできる。
≪「着手」と米国 ≫
上記は、「攻撃は最大の防御」と信じる人にとって、心強いことかもしれない。だが、注意しておかなければならないこともある。ここでは、着手認定の問題について指摘しておく。
米国は〈先制攻撃〉を許容する敷居が極めて低い国である。予防的自衛(anticipatory self-defense)を正当化する考え方も根強い。[xxix] 一方で日本は自衛隊発足後、着手の判断を下したことも、武力を行使した経験も、一度たりともない。そのことから二種類のリスクが生じ得る。
第一は、米国が「中国の武力攻撃が切迫している」と言って武力行使に及ぼうとした時に、日本は〈まだ〉と言い、ズレが生じるリスクである。着手に関する過去の日本政府の答弁の中には、米国との間で相当なズレを予見させるものもあった。[xxx]
第二は、着手の判断について日本が米国に引っ張られるリスクだ。個人的には、こちらのリスクの方が大きいと思う。日本側には米国依存メンタリティが根強い。しかも、中国の意図や軍の動向を正確につかみ、武力行使の着手の有無を判断することは、現在の日本のインテリジェンス能力の手に余る。米国が独自のインテリジェンスを提供して「中国側の攻撃が切迫している」と言えば、日本はそれを追認する形で中国側に武力行使の着手があったと認め、中国との戦争に突入する可能性が高い。
米国のインテリジェンスも常に正しいわけではない。ブッシュ政権は「フセイン政権は大量破壊兵器を開発・保有している」と世界中を信じ込ませてイラク戦争を開始したが、結局何も見つからなかった。イラク戦争の時と異なり、台湾有事絡みで〈やらなくてもよい戦争〉を行えば、日本も甚大な実害を被ることになる。
おわりに
今年末、政府は安全保障関係の3文書(国家安全保障戦略、防衛大綱、中期防衛力整備計画)を改定する。国民世論にも、防衛力増強に肯定的な雰囲気が圧倒的に強い。[xxxi] 今の流れを見る限り、防衛費の大幅増額や敵基地攻撃能力(=自民党の言う「反撃能力」)の保有などが改訂文書に明記されることは動かしがたい。
では、政府は「専守防衛」という言葉も放棄するのか? おそらく、それはないだろう。岸田総理の考え云々よりも、連立を組む公明党がそれは認めないと思われるからだ。
本稿で詳しく説明したとおり、専守防衛という考え方は、時の政府の判断によっては柔軟な防衛態勢をとることが可能な作りとなっている。岸田内閣は、専守防衛という言葉は残す一方で、その解釈を大幅に柔軟化する方向へと舵を切ると予想する。4月26日に自民党がとりまとめた安保提言も「(専守防衛における)必要最小限度の具体的な限度は、その時々の国際情勢や科学技術等の諸条件を考慮し、決せられるべきものである」と明記していた。専守防衛の下で可能となる防衛力の限度・態様を拡張すれば、敵基地攻撃能力の保有も正当化できよう。
とは言え、「専守防衛」という言葉は残っても、日本の防衛力のあり方が大きく変わることは否定できない事実だ。
日本の防衛力が時代や安全保障環境に合わせて進化すべきことは当然である。だが、今の日本は〈自らも危機を助長する行為を重ね、増大した危機に対処するために防衛力を強化する〉というサイクルに嵌り込みつつある。これは由々しき事態だ。
台湾有事と言っても、中国の方から一方的に台湾を武力併合する可能性はほとんどない。危ないとすれば、台湾が今後、独立の動きを強めて一線を越え、それを阻止するために中国が武力行使に至るシナリオだ。[xxxii]
現在、バイデン政権は「一つの中国」政策を維持すると言いながら、実態としてはトランプ政権同様に台湾独立を奨励しかねない動きを繰り返している。日本でも、自民党の中にはあからさまにそれに乗る動きが目立ってきた。政府も対中包囲網づくりと受け止められる言動を強める一方で、中国との対話には米国政府以上に消極的だ。こうした流れが続けば、将来的には台湾でも独立の機運が高まるかもしれない。そうなれば、台湾有事が起きる可能性は本当に無視できなくなる。だがこれでは、日本や米国が自ら戦争の種を蒔き、水や肥料をやっているようなものではないか。専守防衛の理念とも根本的に矛盾している。
いくら日米が軍事的な抑止力を強化しても、台湾が独立に向けた一線を越えれば、中国指導部にとって武力行使以外の選択肢はない。そして、日米中が戦えば、勝敗の如何にかかわらず、我々(特に日中台)は甚大な損害を被ることが避けられない。
中台に対する外交戦略を致命的に間違えれば、それを防衛戦略によってチャラにすることなど不可能だ。正気に戻ろう。
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[i] https://www.eaci.or.jp/archives/avp/634
[ii] 安倍は巧妙にも、自分の意見として「自衛隊が憲法違反である」と言うことは避けている。自らの注目度を利用しつつ、「憲法学者の多数派が憲法違反と言っている」とか、「自衛隊は憲法違反という立て看板が立てられている」と言って〈自衛隊=憲法違反→9条改正が必要〉というイメージの拡散を図るのである。
[iii] 専守防衛「見直すべき」52% JNN世論調査 | TBS NEWS DIG ただし、この調査だけから「日本国民の過半数は専守防衛を見直すべきと考えている」と結論付けるのは早計に過ぎよう。JNNの調査の具体的な設問は不明だし、今年4月に北海道新聞が行った(道民対象の)世論調査では、「専守防衛」を「維持すべきだ」が43%、「見直すべきだ」が21%であった。敵基地攻撃能力「必要」11ポイント増32% 「不要」と拮抗 本紙世論調査:北海道新聞 どうしん電子版 (hokkaido-np.co.jp)
[iv] 自衛隊の元最高幹部らが訴える「専守防衛の見直し」 その真意はどこに、本人に聞いた:朝日新聞GLOBE+ (asahi.com) この発言は、意味がまったく分からない。日本が敵基地攻撃能力を保有して中国や北朝鮮を先制攻撃したとしても、日本中が(核)ミサイル攻撃を受けることは防ぎようがない。中国、北朝鮮、ロシアを相手に戦う場合、国民の犠牲を前提にしないプランニングなどないのだ。専門家面して国民を欺いてはならない。
[v] 「ロシアは本土がやられないから何波でも攻めてくる」“専守防衛”で戦うウクライナから日本は何を学ぶのか?【報道1930】 | TBS NEWS DIG これもレベルの低い発言だ。ウクライナがロシア領内を(本格的に)攻撃していないのは、「それをさせたらロシアがウクライナやNATO諸国に対して核兵器を使う可能性が高まる」と米国が考えているからである。自衛官幹部OBもそのことを知らないはずがない。専守防衛批判に都合の悪い話には触れたくないのだろう。
[vi] 専守防衛の歴史については、等雄一郎 『専守防衛論議の現段階』(レファレンス 平成18年5月号)を参照した。 digidepo_999839_po_066402.pdf (ndl.go.jp)
[vii] 1981年3月19日、参議院予算委員会における大村防衛庁長官答弁は「専守防衛とは相手から武力攻撃を受けたときに初めて防衛力を行使し、その防衛力行使の態様も自衛のための必要最小限度にとどめ、また保持する防衛力も自衛のための必要最小限度のものに限るなど、憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略の姿勢をいうものと考えております。これがわが国の防衛の基本的な方針となっているものでございます」というものであった。
[viii] 解説 ミサイルによる攻撃と自衛権との関係の法的整理について (mod.go.jp)
[ix] 解説 わが国に対する武力攻撃が発生した時点 (mod.go.jp)
[x] 先制攻撃と予防攻撃を分けたうえで、「先制攻撃も違法である」とする学説もある。しかし、私の知る米国人研究者の間では「(正当な)先制攻撃は許される」と考える者が圧倒的に多い。そうでなければ、米国政府は国際法違反の常習者ということになってしまうからだろう。
[xi] 1967年5月、エジプトはシナイ半島に軍を進め、チラン海峡を封鎖した。両地域はイスラエルの領域外だったが、これを受けてイスラエルは6月5日にエジプト、シリア、ヨルダン等に奇襲を仕掛けた。イスラエルの先制攻撃に対し、国際法違反という指摘は基本的になかった。 Mueller et al., “Striking First: Preemptive and Preventive Attack in U.S. National Security Policy,” https://www.jstor.org/stable/10.7249/mg403af.8?seq=8
[xii] イスラエルはイラクが核爆弾を製造して同国を攻撃するつもりだったと述べ、正当な自衛権の行使だと主張した。しかし、国連安保理や国連総会はそれを認めず、イスラエルを強く非難している。
[xiii] 岸田答弁のとおりであれば、自民党が提言している敵基地攻撃(反撃)はすべからく国際法違反になるとも考えられる。https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b195088.htm
[xv] 前掲。 P.25
[xvi] 前掲。 P.24
[xvii] 000075220.pdf (kantei.go.jp)
[xviii] スタンド・オフ・ミサイルとは〈相手の対空火器(ミサイル等)の射程の外から相手を攻撃できる〉ミサイルのことである。詳しくは、2020年8月29日付AVP第9号『米中対立時代の安全保障論議~その3. 米国の対中軍事戦略と日本』(https://www.eaci.or.jp/archives/avp/92)をご覧いただきたい。
[xix] 衆議院議員宮川伸君提出長距離巡航ミサイルに関する質問に対する答弁書 (shugiin.go.jp)
[xx] shukenshi101.pdf (shugiin.go.jp) p.25
[xxi] これはあくまでも、「専守防衛の下であっても、一定の条件を満たせば核兵器の保有が可能である」という説明である。「専守防衛で認められているから日本も核兵器を保有すべきだ」と主張する意図はかけらもない。
[xxii] 自民、専守防衛見直し論 「必要最小限度」解釈修正 – 産経ニュース (sankei.com)
[xxiii] 産経新聞も先制攻撃と予防攻撃を混同している。(コラム参照。) まあ、産経新聞が両者の違いを理解していることなど、端から期待してはいないが。
[xxiv] 2015年5月28日の衆議院平和安全特委で横畠内閣法制局長官は、憲法9条の下で我が国に認められる自衛権の行使について、「単に、相手から受けている武力攻撃と同程度の自衛行動が許されるという国際法上の自衛権行使の要件である均衡性(を満たすだけ)ではな」く、「我が国の存立を全うし、国民を守るためとあります(自衛権発動の)第二要件を前提とした、我が国を防衛するための必要最小限度」のものでなければならない、と答弁している。
[xxv] 産経の言うように「100発撃たれたら100発撃ち返せる」のが国際法なのであれば、100発で相手を押し戻せない場合、侵略された国は占領を受け入れなければならなくなる。産経の説明がいかに馬鹿げているのかは、誰の目にも明らかであろう。
[xxvi] 現実問題としては、台湾有事の際に米軍は在日米軍基地を拠点に出動する。そのため、台湾近辺で米軍が中国軍から攻撃を受けた時には、ほぼ同時に在日米軍基地も攻撃を受けるか、攻撃が切迫した状態に陥るであろう。台湾有事においては、存立危機事態(集団的自衛権)と武力攻撃事態(個別的自衛権)を区別する実質的な意味はない。
[xxvii] 衆議院議員長妻昭君提出存立危機事態における「着手」に関する質問に対する答弁書 (shugiin.go.jp) これは、質問主意書制度の意義を再認識させる〈良い仕事〉だったと思う。
[xxviii] 台湾は国ではないため、台湾に対する攻撃を以って集団的自衛権を行使することができるか否かは、必ずしもはっきりしない。しかし、中台の間で台湾有事が起きても、米国が軍事介入しない限り、日本だけが中国と戦うことは絶対にない。(日本の好戦論者たちは、米国の威を借りて大言壮語するだけだ。日本だけで中国と戦争する意気地はかけらもない。) したがって、台湾を対象に集団的自衛権を行使できるかどうかを議論しても、少なくとも実務上は意味がない。
[xxix] クリントン政権やトランプ政権では、北朝鮮による攻撃が切迫しているとまでは言えない状況下で、北朝鮮の核施設に対する外科手術的な攻撃が検討された。
[xxx] 2019年7月3日の衆議院平和安全法制特別委で岸田外務大臣は「国連の議論においても、例えば、イミネント、切迫した状況において着手と認められることができるのではないか、こういった議論が行われました。しかし、結局は反対に遭って、これは成果文書に盛り込むことができなかった。国際的にも、こうした切迫した事態というのは、着手、武力攻撃の発生としては認められない、こういった議論が行われています」と答弁した。岸田答弁に対して、後に出された政府の答弁書は「武力攻撃が発生していなくともそれが急迫していれば国際連合憲章第51条にいう個別的又は集団的自衛の固有の権利を行使できるとの考え方が国際的に確立されていないことを例を挙げて述べたもの」と念押ししている。衆議院議員長妻昭君提出集団的自衛権行使容認等に関する質問に対する答弁書 (shugiin.go.jp)
[xxxi] 日本テレビ・読売新聞が6月3~5日に行った世論調査では、「今後、日本が防衛力を強化することに、賛成ですか、反対ですか?」との質問に対して「賛成」と答えた人の割合は72%にのぼった。世論調査|日本テレビ (ntv.co.jp)
[xxxii] この点については、以下を参照のこと。 2021年12月28日付AVP第34号「『台湾有事は日本有事』を思考実験する」(https://www.eaci.or.jp/archives/avp/542)、2022年3月31日付AVP第37号「ウクライナの次は台湾?」(https://www.eaci.or.jp/archives/avp/596)、2021年4月15日付AVP第38号「ウクライナ侵攻後の中国」(https://www.eaci.or.jp/archives/avp/603)