2022年5月20日
はじめに
2022年4月26日、自由民主党は安全保障調査会でとりまとめた「新たな国家安全保障戦略等の策定に向けた提言」(以下、自民党提言)を了承した。[i] 相手領土内にあるミサイル発射台や司令部等に対する「反撃能力」――従来は敵基地攻撃能力と呼ばれていたものである――を保有することや、防衛費の対GDP比(NATO基準)を現在の1.24%から2%以上へ5年間で引き上げる――その結果、防衛費は1.6倍に膨張する――ことなど、その中身は従来の防衛政策を大きく転換するものとなっている。
年末までに国家安全保障戦略や防衛大綱等を改訂するため、政府は現在、鋭意作業中だ。翌27日に自民党提言を受け取った岸田文雄総理は「自民党の考え方をしっかり受け止めたうえで議論を進めたい」と述べた。
AVPでも今後、日本の安全保障のあるべき姿を多角的に論じていきたい。その第一弾、導入編となる本号では、4月24日にフジテレビ系『日曜報道 THE PRIME』で小野寺五典(元防衛大臣)、小川淳也(立憲民主党政調会長)、橋下徹(番組コメンテーター)の三氏が自民党提言について議論したやりとりを取り上げる。[ii] 小野寺は自民党提言をまとめた安全保障調査会の会長。同提言の解説役としては打ってつけであろう。
日本は弾道ミサイルを持つのか?
討論の冒頭、小野寺は敵基地攻撃能力――自民党提言で「反撃能力」と呼んでいるものである――について説明した。(本稿では、自民党提言に言及する時以外は「反撃能力」ではなく「敵基地攻撃能力」という言葉を使う。[iii] 敵基地攻撃能力保有論については別稿で改めて深掘りしたい。)小野寺の説明を聞いた小川は、「前のめり」「荒っぽい」と感想を述べたうえで、「日本は弾道ミサイルを持つのか?」と唐突に問い返した。[iv]
ミサイルとは、大砲の弾などと違い、自分の力(エンジン)で飛ぶ兵器のことである。発射後、ロケット燃料が燃え尽きるまでに推進力を得て、後は慣性力で飛ぶミサイルは、弾道軌道(放物線)を描くことから「弾道ミサイル」と呼ばれる。これに対し、発射後も目標に到達するまでロケットで飛び続けるミサイルを巡航(クルーズ)ミサイルと呼ぶ。翼を持っており、〈弾頭を持った飛行機〉とイメージしても大きな間違いではない。
≪弾道ミサイルではない≫
小川の質問に対し、小野寺は「弾道ミサイルではない。現時点の想定は通常の長距離ミサイルだ」と答えた。
従来から政府は、専守防衛との関係上、「大陸間弾道ミサイル、長距離戦略爆撃機、攻撃型空母については、いかなる場合においても保有することは許されない」としてきた。それでなくても、弾道ミサイルは命中精度が比較的低いため、核弾頭ミサイルとしての使用が想定されがちである。小野寺が「弾頭ミサイルではない」と即座に否定したのは、こうしたことが念頭にあったためであろう。
とは言え、敵基地攻撃能力(反撃能力)に必要な兵器体系について、自民党提言は何も触れていない。つまり、中距離弾頭ミサイルの保有や航空機による敵基地等の攻撃が明示的に否定されているわけではない、ということ。小野寺が言ったのは「近い将来、弾道ミサイルは想定していない」という意味にすぎないのかもしれない。
≪巡航ミサイルとも言わない≫
政府は2020年12月18日の閣議決定で「12式地対艦誘導弾能力向上型」の開発を行うことを決めている。このミサイルは射程が1000㎞とも1500㎞とも言われる。対地目標を攻撃できるようにすれば、配備場所によっては(少なくとも計算上は)中国本土にも北朝鮮にも届く。ベースとなる「12式地対艦誘導弾」が巡航ミサイルであることは、その形状(=翼がある)ことからも一目瞭然。(下記写真参照。)
自民党内等には「米国からトマホークを購入すべきだ」という意見もある。トマホークが巡航ミサイルであることは言うまでもない。
12式地対艦誘導弾( 出典:防衛省ホームページ https://www.flickr.com/photos/90465288@N07/25066741637/in/set-72157632230016328/ )
小野寺は「当面、長射程ミサイルは巡航ミサイルになると想定している」とはっきり言うべきであった。ところが、彼は「長射程のもの。それは様々な装備がある」と述べてお茶を濁し、「巡航ミサイルということね?」という小川の突っ込みも無視した。小野寺が「巡航ミサイル」という言葉を呑みこんだのは、知識が足りていなかったのでなければ、「巡航ミサイル」という語感も世論に対して刺激的すぎると考えたためであろう。
我が国では今、安全保障政策に関して戦後最大級の議論が行われようとしている。その際に求められるのは、正確な知識と並んで、正直で誠実な議論だ。自民党きっての安全保障政策の論客と言われる小野寺がこの程度のことでモゴモゴ言うとは、失望の一語に尽きる。
財源はどうするのか?
自民党提言は「NATO諸国の国防予算の対GDP比目標(2%)も念頭に、わが国としても、5年以内に防衛力を抜本的に強化するために必要な予算水準の達成を目指す」と明記した。しかし、それに必要な財源についてはただの一言も触れていない。
≪ゼロ回答≫
討論の中で小川は「防衛費『対GDP比2%以上』の財源はどうするのか。子ども予算を減らすのか、教育予算を減らすのか、増税するのか。5年間で10兆円だ」と小野寺に迫った。だが小野寺は、ウクライナ情勢を引き合いに出しながら「なぜGDP比2%が必要か」について自民党の見解を述べたのみ。肝心の財源については何一つ答えなかった。番組ではここで橋下が話題を換え、財源論が顧みられることはなかった。口あんぐり、である。
≪毎年5兆円≫
以下は私の大雑把な試算なので参考程度にとどめてもらいたいが、自民党が提言する防衛予算増の規模感はこうだ。
慶應大学の土居丈朗教授によれば、2021年度の防衛費(NATO基準)は約6.9兆円である。[v] 次に、大和総研の予測に従って2027年の名目GDPが609.2兆円になるとすれば、同年の対GDP比2%相当額は約12.2兆円になる。[vi] 以上から、2023年度から始めて自民党案を実現するためには、2027年の防衛費は昨年度よりも5兆円以上増やさなければならない。目先の5年間で必要な追加財源は15兆円になる。もちろん、2028年度以降は毎年5兆円以上の歳出上積みとなる。
人口減少が止まらない日本経済の先行きは、趨勢として1%成長を持続させることすら厳しい。自然税収増がほとんど期待できない中、防衛費の増分を確保しようと思えば、他の歳出項目から毎年5兆円をカットするか、消費税率を12~13%に引き上げるしかない。テレビ討論で小川が「どこまでリアリティーを持っているのか」と批判したことは的を射ていた。
≪予想される着地点≫
自民党は安保提言をまとめて岸田に渡したが、今後は政府部内での議論や米国との(水面下の)調整、さらには公明党や財務当局との折衝も経なければならない。自民党としては、防衛費のGDP比2%目標(NATO基準)は努力目標にして目標年限を明記しないか、7~10年程度に達成期限を引き延ばし、「それに必要な税収増を可能とするような経済対策を打つ」とでもしてお茶を濁す、というあたりを〈着地点〉として想定しているのではあるまいか。いずれにせよ、「茹でガエル・日本」を作った政治屋集団と官僚集団がのんびり偉そうに構えている限り、日本経済が2%以上の成長を持続的に達成することなど〈夢のまた夢〉である。「悪い円安」に伴う物価上昇と金利上昇傾向が続く中、財政赤字がさらに積み上がって将来世代が苦しむことは避けられまい。
武力行使と災害救助は同じなのか?
番組では「専守防衛」の議論も出た。専守防衛や先制攻撃に関しても、別稿でじっくりと議論した方がよいだろう。本稿では、専守防衛について小野寺がシレっと行った〈印象操作〉と〈ゴマカシ〉を指摘するにとどめておく。
≪武力行使の本質≫
橋下が〈憲法9条の下で日本に保有が許される武器について、内閣法制局が「必要最小限」という枠を勝手にはめた〉と批判したのを受け、小野寺は次のように述べた。
「必要最小限」という言葉があるが、自衛隊が災害救助に行って国民を守っている時に「必要最小限にしてほしい」とは誰も言わない。災害救助でも国民を守る。日本が攻撃された時、日本の国民があのように(ウクライナ国民のように)やられている時には、自衛隊は全力で国民を守る。必要最小限というのは「必要な時には合理的な範囲の中で対応する」ということ。
何となく説得されてしまいそうになるが、これは「災害救助はできる限りのことを全力でやるのが当たり前。同様に、武力行使や武器保有も多ければ多いほどよい」と議論を誘導していることにほかならない。災害救助と武力行使を同列に論じる防衛大臣経験者など、初めて見た。橋本や小川は黙って聞いていたが、こんな不謹慎なことはない。
災害救助は人を救う話だ。憲法や国際法も関係ない。全力を尽くせば尽くすほど、より多くの人を救える可能性がある。「必要最小限にしてほしい」と言う人がいないのは当たり前。これに対し、武力行使の本質は〈殺し合い〉である。相手は自然ではなく、意思と感情を持った(他国の)人間だ。武力行使のレベルを上げることによって国民を守れる場合もあれば、エスカレーションを招いて戦場が拡大する結果、双方で犠牲者が増える可能性もある。だからこそ、武力行使には憲法9条や国際法の制約がかかり、国会承認という仕組みも定められているのだ。「必要最小限」という考え方にも、憲法9条下で自衛隊を認めるための方便にとどまらない意義がある。
小野寺は、防衛問題の理屈に通じ、弁舌も軽やかかもしれない。だが、武力行使の本質論を理解していない。とても安全保障の議論を任せられるような人物ではない。それが私の率直な感想だ。
≪自衛隊が守るもの≫
もう一つ、私が引っ掛かったのは、小野寺が「日本が攻撃された時、国民がやられている時には、自衛隊は全力で国民を守る」と得意そうに言ったことである。当たり前と言えば当たり前であり、頼もしい限りでもあるのだが、そこに落とし穴がある。
今日、日本が武力攻撃を受けることが最も想定されるのは、いかなる事態なのか? AVP第34号でも述べたとおり、それは〈台湾有事が引き金となって日本に波及する〉シナリオである。[vii] その場合、自衛隊が全力で日本国民を守ることは間違いない。だが、少なくとも事の発端としては、〈台湾を守る〉ため、そして〈米国の国益を守る〉ために全力で戦うという側面の方が圧倒的に大きい。自民党安保提言にせよ、政府が取り組んでいる国家安全保障戦略・防衛大綱・中期防の見直しにせよ、私の最大の疑問は「誰のため(何のため)の防衛力増強なのか?」ということだ。
ミサイル時代の「盾と矛」
敵基地攻撃論について小川は、日米同盟の下では「米軍が矛、自衛隊は盾」という役割分担があると主張した。「日本が侵略された際には、まず自衛隊が外敵の侵入を食い止めて〈盾〉の役割を果たす。その間に在日米軍と新たに来援した米軍が(必要に応じて)外敵の本拠地を叩いて〈矛〉の役割を果たすことになっている。この役割分担に照らせば、敵基地攻撃能力の必要性には疑問がある」と言いたかったのであろう。
≪敵基地攻撃しなければ、日本は焦土になる…?≫
これに対して小野寺は、小川を諭すような調子で次のように語った。
盾と矛の関係が今までなぜ成り立ってきたか。弾道ミサイルなどの装備が出てくる前は、爆撃機が来る、戦闘機が来る、戦艦が来る、というのは時間があった。「あ、来ているぞ」、「危ないぞ」という時に、まずは自衛隊が守っている中で、アメリカが大きな打撃力を行使してくれる。だからこのときは盾と矛の軍事合理性はあった。今は防衛装備が全く変わり、十数分で(弾道ミサイルが)飛んでくるようになった。こうなると、日本が攻撃された、アメリカ大統領に電話して「助けてほしい」。アメリカ大統領は閣議を招集して議会関係者に説明して、「わかった、行く」と言ったら数日かかる。日本は焦土となってしまう。(中略)攻撃のされ方が変わったことに対応するために、やむを得ない形で、まずはここを食い止めなければ、アメリカの最終的な来往が待てない。こういう緊迫感があるので、反撃能力は必要だ。
小野寺にこう言われれば、「そうだよな」という気になる人が多いかもしれない。しかし、小野寺はここでも相当に〈盛って〉いる。
≪戦争には予兆がある≫
第一に、戦争というものは何らかの予兆を伴って起きるものだが、小野寺はそのことを敢えて無視している。ウクライナ戦争は2月24日にロシアのミサイル攻撃から始まった。しかし、米国はロシア軍の動向(や政権の内部情報)からロシアによる侵攻を事前に察知していた。ロシアとウクライナの間の軍事的緊張の高まりも、関係者の間では遅くとも昨年9月、早ければ昨年3月にははっきりと認識されていた。
中国や北朝鮮との間で万一有事になる場合でも、緊張の高まりに伴って日米は協議を行い、米国が軍事介入すべきだと判断すれば、米政府や米軍は日本が攻撃される前の段階から準備を始める。日本も重要影響事態を認定し、自衛隊と在日米軍は現在策定中の日米共同作戦計画に基づいて準臨戦態勢をとるはずだ。[viii] ある日突然、日本がミサイル攻撃を受け、慌てて総理大臣が米国大統領に電話して来援を頼む、という事態になるのは、日本政府がよほど間抜けで無能な場合の話である。小野寺がこんなことを知らないとは思えない。国民は騙すものだと思っているのだろうか?
≪敵基地攻撃能力があっても、被害は防げない≫
第二に、自衛隊が北朝鮮や中国本土に届くミサイルを持ったとしても、米本土や世界中から米軍の来援部隊が日本列島に集結するまでの間、日本を守り切ることができるわけではない。現実問題としては、日本よりも中国や北朝鮮の方が保有するミサイルの数は多いだろう。何よりも、中国や北朝鮮が保有するミサイルには核弾頭付きのものが含まれる。日本と中国(または北朝鮮)との間でミサイルの撃ち合いになれば、日本が受ける被害の方が大きい。
私は、だからと言って「敵基地攻撃能力を持つことはまったく無意味だ」と主張するつもりはない。しかし、〈敵基地攻撃能力を持つだけで日本の安全が確保されるわけではない〉という現実は現実として、国民に正しく説明するのがフェアというものだ。
≪再評価すべき「ミサイルの脅威」≫
第三に、通常兵器弾頭のミサイルが持つ破壊力についても再評価が必要だ。湾岸戦争以来、米国が精密誘導ミサイルでイラクやタリバンを叩き、敵を圧倒する姿を見せつけてきたせいもあり、我々はミサイルの威力と脅威を非常に高く見積もってきた。だが、今回のウクライナ戦争でロシアは、開戦から2ヶ月あまりの間に1,300発以上のミサイルをウクライナ領内に撃ち込んだにもかかわらず、戦局を好転させることができないでいる。[ix]
我が国が万一(通常兵器弾頭の)ミサイル攻撃を受けた時、小野寺が言うように「日本は焦土になる」という認識はどの程度正しいのか? 従来の先入観にとらわれずに再検討した方がよい。その結果次第では、滑走路等の修復能力を強化するなど、抗堪性向上というディフェンス面の改善を優先したり、オフェンス面(敵基地攻撃能力)で保有すべきミサイルの数量や運用方法を見直したりすることも必要になるかもしれない。
中距離ミサイルの現状認識
敵基地攻撃能力を持つ必要があるという自民党提言の結論は、我が国周辺で(弾道)ミサイルが質量両面で増強され、従来の対応では日本を守れなくなったという問題意識に端を発している。しかし、自民党の認識には正しい部分とバイアスのかかった部分が混在している。
なお、本節の論評は5月8日の同番組で佐藤正久参議院議員(自民党外交部会長)が行った説明に基づいて行うことをご了解いただきたい。[x] 小野寺が4月24日の『日曜報道 THE PRIME』で東アジアにおける中距離ミサイル配備状況について行った説明には、事実関係の部分で少なからぬ間違いがあったためである。
≪地上発射式の中距離弾道ミサイル=中国優位≫
佐藤は「中国は地上発射型短・中距離弾道ミサイルだけで約1900発持っている。日米はゼロだ。巡航ミサイルまで入れると約2500発対ゼロという状況だ」と述べた。米国はINF条約に加盟していたため、2019年まで〈地上発射式〉中距離ミサイルを開発することができなかった。一方で、INF条約に縛られない中国は――公平を期すために言えば、イスラエルやインドも同様である――地上発射式を含めた中距離ミサイルを着々と開発・配備することができたのだ。
《中距離ミサイルとINF条約》
1987年に米国とソ連は中距離核戦力全廃条約(INF)条約を締結した。これによって米ソは、核弾頭であれ通常弾頭であれ、弾道ミサイルであれ巡航ミサイルであれ、中距離(射程500~5,500㎞)の地上発射式ミサイルを開発・配備することができなくなった。INF条約はソ連崩壊後もロシアに引き継がれていたが、2019年8月に失効している。
≪海空発射式の中距離ミサイル≫
佐藤の説明で注釈が必要なのは、米国の巡航ミサイルに関する部分である。INF条約によって米ソが開発・配備を禁止されていたのは、あくまで〈地上発射式〉の中距離ミサイルだ。駆逐艦や潜水艦、航空機から発射される中距離ミサイル(=主に巡航ミサイル)は別枠であり、開発・配備は続いてきた。最近では、2017年と2018年にトランプ政権が地中海東部に展開した艦船や潜水艦からトマホークを発射し、シリアを攻撃した。2020年時点で米海軍は約4,000発のトマホークを保有していた。[xi]
これらの中距離巡航ミサイルは、平時において東アジアには配備されていない、と考えられている。[xii] 佐藤が「巡航ミサイルを入れても米国はゼロ」と言ったのは、そのためであろう。しかし、トマホークは、海か飛行場さえあれば、世界中のどこにでも配備が可能だ。台湾や朝鮮半島で緊張が高まれば、在日米軍基地を含む東アジアにも当然、配備される。さらに、米国は2019年にINF条約から離脱して以降、地上発射式の中距離弾道/巡航ミサイルを急ピッチで開発中だ。在日米軍基地等への配備が認められれば、2020年代中葉にも東アジアへの実戦配備が始まることになる。
地上発射式だけでなく、海空発射式まで含めて考えると、佐藤の言うように米中の中距離ミサイル戦力が「2500発対ゼロ」と言うのは、実態よりも中国を有利に見立てた数字と言わざるを得ない。
中国軍が米軍に対して優位に立っている数字のみを抜き出すことは、米軍が装備の増強や予算増額を議会に認めさせるための常套手段である。だが、そのようなバイアスのかかった数字に基づいて我が国の安全保障戦略を論じることは感心できない。小野寺や佐藤たちは米軍が知らせたい情報に接してそれを鵜呑みにしているのか? あるいは、巡航ミサイルを含めた実態を知ったうえで敵基地攻撃論に対する国民の支持を得るために都合の悪い数字には敢えて触れていないのか? いずれにしても、情けない。
独り歩きする「複合事態」
自民党提言は「中国、北朝鮮、ロシアの軍事力の強化、軍事活動の活発化の傾向が顕著となっている中、これらの活動が複合的に行われ、わが国として複雑な対応を強いられる複合事態にも備えなければならない」と指摘している。
≪中露朝の連携?≫
だが、4月24日の『The Prime』における小野寺はもっと過激だった。「今回、自民党は脅威見積もりを変えた」と言い、「(中国、ロシア、北朝鮮の)3カ国は連携している」と断言。「世界でこういう複合事態がもしかしたらあるかもしれないという国は日本だ。日本が一番いま、危機感を持たなければいけない」と述べて敵基地攻撃能力の保有を正当化した。佐藤も5月8日の同番組で「『複合事態』を考えれば、北海道は(中距離ミサイル配備先として)一つの有力な選択肢だ」と気勢を上げた。
しかし、小野寺の言う〈3カ国の連携〉とは何を意味しているのか? 確かなインテリジェンス(諜報)に裏打ちされたものなのか? おそらく、小野寺自身も答えられないであろう。3月31日付AVP第37号で述べたとおり、バーンズ米CIA長官は習近平主席が〈プーチンのウクライナ侵攻に少なからず動揺している〉と議会証言した。ヘインズ米国家情報長官も中露関係について「米国と同盟国の関係に匹敵するレベルには達していないし、今後5年間で達するとも考えていない」と述べている。[xiii] 自民党の言う「複合事態」が起きる可能性は、小野寺や佐藤が煽るほどに高くはないだろう。
「安全保障とは最悪の事態を想定するものである」と言われる。間違ってはいないが、そこには罠も潜む。最悪の事態など、考えようと思えばいくらでも考えられる。新しい脅威ができあがれば、それに備えた兵器の配備と防衛費の増額が必要になる、というパターンが待っている。しかし、それが正しい道とは限らない。
≪「ロシアの脅威」が意味するもの≫
5月18日、麻生太郎自民党副総裁は「ロシアの西の隣はウクライナだが、東の隣は北海道だ。ロシアが西には行くが、東には行かないという保証はない」と述べた。[xiv] ウクライナ戦争が起きた背景にNATO拡大をめぐる経緯があったことを完全に無視した暴言である。そのうえで言えば、「ロシアは北海道を攻めることはないと100%保証せよ」と言われたら、私も「それはできない」と答えるだろう。
大事なのは、そこで思考停止しないことだ。ロシアが日本を攻撃することがあるとすれば、米国やNATOがロシアと戦い、在日米軍基地を叩く必要が出てきた場合だ。その時、米欧軍がロシア領土に侵攻していれば、ロシアが核兵器を使用する可能性はかなり高い。麻生が言うように北海道が侵攻されることよりも、三沢、横須賀、嘉手納などが核ミサイルで攻撃されることこそ、心底怖れなければならない。だが、この局面では、佐藤が主張するように北海道へ中距離ミサイルを配備したところで、何の抑止効果も防衛効果も期待できない。核保有国であるロシアとの戦いにおいて日本を守ろうと真剣に考えるのであれば、米露が戦わないよう決死の覚悟で仲介外交を果たすことが最善の道であろう。
おわりに
防衛力の攻勢的な強化を望む声は、世論の方にもはっきりと窺える。5月7~8日にJNNが行った世論調査では、「専守防衛を見直すべき」とする人が52%にのぼり、「見直すべきではない」と答えた28%を大幅に上回った。[xv] 朝日新聞と東大谷口将紀研究室が3月15日~4月25日に行った調査でも、「日本の防衛力はもっと強化すべきだ」と答えた有権者が2003年の調査開始以来、初めて6割を超えた。[xvi]
近年、日本では中国脅威論が支配的だ。米中対立の激化に伴い、日中関係も再び冷却化している。北朝鮮は今年に入ってから15回もミサイルを発射し、核実験やICBM発射の兆候も見られる(5月19日現在)。とどめを刺すように、今年2月にはウクライナ戦争が起こった。以来、悲惨な戦闘被害の映像が我々の目に入らない日はない。「次は東アジアだ」という議論もまことしやかに語られている。[xvii] 日本国民の多くが「軍備が大きくないと不安だ」「攻撃こそ最大の防御である」と思うことは、恐怖に直面した人間の本能として無理からぬことだと思う。
私もまた、日本の防衛力は抜本的な改善が必要な時代に来ている、と考えている。しかし、漠然とした恐怖に流されていては、正しい議論はできない。本稿で見た通り、日本では安全保障の専門家と言われる政治家のレベルもそれほど高くない。彼らの中には、国民の抱く恐怖心を利用し、ゴマカシや決めつけを織り交ぜながら、自分たちに都合のよい方向へ議論を誘導することなど何とも思っていない輩もいる。
読者が「専門家」たちの恣意的な議論に惑わされることを少しでも防ぐため、AVPでは引き続き、日本の安全保障のあり方について独自の論考を続けるつもりだ。
[i] 新たな国家安全保障戦略等の策定に向けた提言 ~より深刻化する国際情勢下におけるわが国及び国際社会の 平和と安全を確保するための防衛力の抜本的強化の実現に向けて~ (nifcloud.com)
[ii] 小野寺氏「中露北3カ国軍事連携の『複合事態』への危機感を持つべき」 (fnn.jp)
[iii] 「反撃能力」へ呼称転換は、「敵基地攻撃能力」という言葉が与える先制攻撃のイメージを弱め、公明党の理解を得やすくするためだと言われている。安倍内閣が安保法制を平和安全法制と呼んだように、言葉を優しくして軍事の本質から目を背けさせる手法は、国民を小馬鹿にした自公政権の常套手段である。しかも、「反撃能力を保有すべき」と言ったのでは、自衛隊が今まで(常識的な意味での)反撃能力を持っていなかったように聞こえてしまい、自衛隊に対して失礼だ。以上の理由により、本稿では自民党の言葉遊びに付き合わない。
[iv] 視聴者が小川から聞きたかったのは、敵基地攻撃能力保有論に対する立憲民主党のスタンスであろう。だが、「法理念的には全否定しない」では、スタンスになっていない。7月に参院選を控えた今、「反対」なのか「限定的(条件付き)賛成」なのか、早くはっきりさせないとまずいのではないか。拙速な議論を奨励するつもりはないが、自民党提言が出ることはわかっていたことであり、議論の時間は十分にあったはず。立憲民主党が最も恐れるべきは「何を言っているかわからない」という批判である。
[v] 日本の防衛費は「対GDP比2%」へ倍増できるのか | 岐路に立つ日本の財政 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース (toyokeizai.net)
[vi] 日本経済中期予測(2022~31年度) (dir.co.jp)
[vii] https://www.eaci.or.jp/archives/avp/542
[viii] 重要影響事態は日本側が米軍の活動を支援するために認定される事態であるため、米軍が動かない場合に認定しても意味はない。
[ix] 数字はウクライナ国防省が4月26日に発表したもの。Russia Has Fired 1,300 Missiles in Ukraine This War, More Strikes Expected (newsweek.com)
[x] 「『複合事態』に備え、北海道に中距離ミサイル配備を」と佐藤氏 (fnn.jp)
[xi] America’s Tomahawk Cruise Missiles Is Shrinking—And Fast | The National Interest
[xii] もっとも、トマホークをどこに配備しているか、リアルタイムでは明かさないのが米軍の方針だ。平時にトマホークが在日米軍を含めた東アジアに配備されていないということについても、絶対に正しいという確証はない。
[xiii] https://www.eaci.or.jp/archives/avp/596
[xiv] 【速報】麻生副総裁「ロシアが東の北海道に行かない保証ない」 (fnn.jp)
[xv] 専守防衛「見直すべき」52% JNN世論調査 | TBS NEWS DIG
[xvi] 有権者「防衛力強化を」過去最多 初の6割超 朝日・東大共同調査:朝日新聞デジタル (asahi.com)
[xvii] 「ウクライナの次は台湾」という議論がいかに根拠薄弱かについては、3月31日付AVP第37号「ウクライナの次は台湾?」で論じたとおりである。https://www.eaci.or.jp/archives/avp/596