2024年12月30日
はじめに
去る12月第1週に台湾へ行き、外交防衛関係の研究者や政党関係者と意見交換してきた。2024年最後のAVPとなる本号では、その台湾出張について簡単に報告する。
日本では、政治家もマスメディアも口を開けば中国脅威論のオンパレードだ。その延長線上で考えると、台湾の専門家たちは中国の脅威を深刻に受け止めているに違いないと思いがちである。ところが、私が会った研究者たちは、一言で言えば、とても落ち着いていた。彼らが中国の脅威に触れなかったわけではない。むしろ、ほぼ全員が中国は今後、台湾に益々圧力を強めると予想していた。しかし、彼らの言動から感じ取られたのは、「不安」ではなく、一種の「余裕」であった。
「近い将来、台湾有事が起きる」=ほぼゼロ
私が面談した研究者は10人。台湾の場合、大学やシンクタンクは民進党系と国民党系に色分けされることが多い。[1] 3期連続で民進党の総統が選ばれているため、どうしても民進党系の方が多くなるが、国民党に近いと言われる研究者もはずさないよう心がけた。
【中国は台湾に侵攻するか?】
面談の際、私はいくつかの共通質問を用意しておいた。その1つは「近い将来、台湾有事が起きる可能性についてどう考えるか?」というものだった。具体的には、〈2030年あるいは2030年代前半くらいまでの間に中国が武力を用いて台湾を併合しようとする可能性〉について各人の意見を問うた。
ほぼ全員が「ありそうにない」「起こるとは思わない」「その可能性は極めて低い」等の回答であった。「その可能性は十分にある」という類いの答をした者は1人もいなかった。
この回答の揃い具合は少し意外だった。民進党政権は近年、中国の脅威を強調することによって台湾独立に対する米国や日本の理解を得ようとしている。したがって、研究者たちも台湾有事の可能性について少しは〈盛って〉くるのではないか、と予想していたからだ。
中国に対して最も強硬だったある人は、台湾侵攻を成就させることの困難さを詳しく説明し、「中国もそのことを理解している」と述べた。そこで私は、2021年に米インド太平洋軍のデービッドソン司令官(当時)が米議会の公聴会で〈今後6年以内に中国が台湾を侵攻する可能性がある〉と示唆したことを引き合いに出し、「彼の見解には同意しないんですね?」と確認を求めた。その人は苦笑しながら「米国が台湾方面に軍隊を集中できないような事態も起こらないとは限らない。だから、2027年までに武力行使が起きる可能性は小さい、とは言いません」と返してきた。[2] デービッドソン発言を頭から否定するとまずい、という雰囲気だった。
【中国が台湾に侵攻しないと考える理由】
では何故、彼らは「中国は近い将来、台湾に侵攻しない」と考えているのか?
研究者の中の数名は、中国の意図について触れた。中国共産党指導部の国家戦略上の最優先課題は、経済を再建し、社会の安定を取り戻すことである。もちろん、台湾統一や国防力の近代化も国家的な課題ではあるが、経済再建の方が優先する。台湾に対して今、武力行使に及べば、戦争の直接的なコストはもちろん、国際的な制裁を受けて中国経済は大打撃を受ける。したがって、中国の方から武力行使に積極的になることはないという論理である。
より多く聞かれたのは、近い将来にわたって中国には台湾へ侵攻して占領する能力がないという意見だった。
中国軍の急速な近代化や量的な優越は皆が認めていたが、総体として見れば、情報収集・警戒監視・偵察(ISR)を含めた兵器システムは質的にまだ米軍が優れていることや、中国は長期間にわたって戦争を経験していないため、特に統合作戦能力や兵站面で戦争遂行能力に不安がある、という指摘が相次いだ。
また、ロシアは大量の陸上兵力を地続きのウクライナへ直接侵攻させることができたのに対し、台湾を屈服させようと思えば、中国は海空を越えて大量の部隊を台湾へ上陸させなければならない。だが、台湾の地勢は峻険なため、上陸に適した地点は少ない。台湾海峡の水深が浅いことも中国の潜水艦の作戦行動にとっては不利。しかも、沖縄には米軍がいる。現在の中国軍の編成を見ても、上陸作戦に必要と見積もられる上陸部隊(及び空挺部隊)・兵站部隊は圧倒的に不足している・・・等々。
私がインタビューした研究者の中には、米国が(ウクライナに対して現在やっているように)情報・兵站支援を実施してくれれば、台湾軍単独でも中国の侵攻に対処できる、と述べた者も複数名いた。
なお、誤解のないよう注意しておくが、私の会った研究者たちは「台湾有事が起きても中国に〈勝てる〉」と考えているわけではなかった。中国に台湾侵攻の能力がない、というのは「短期間で台湾を占領することはできないため、武力併合を断念せざるを得なくなるだろう」という意味である。中国が様々なコストを度外視して戦争の長期化とエスカレーションを選んだ場合、戦争継続に必要な総合的な国力の面で中国が有利になるという認識は彼らも当然持っている。
また、私は面談した全員に「中国と米国の軍事バランスをどう見ているか?」と質問した。回答状況は、明確に答えなかった者が2名で、残りは総体的に見て米軍の方が優位に立っているという見方を示した。この点を含め、中国が採り得る全面侵攻以外のシナリオ(経済封鎖や破壊工作、離島奪取等)についての報告は別の機会に譲りたい。
台湾独立に関するレッドラインは何か?
今年5月、頼清徳が台湾の新総統に就任した。頼は「現状維持」を続けると言う一方で、「中華民国と中華人民共和国は互いに隷属しない」と述べるなど、「新・二国論」とも呼ばれる主張を繰り返している。(頼は民進党主席に就任した2023年1月18日の会見で「台湾は既に独立している。台湾の独立を改めて宣言する必要はない」と述べている。頼の論理に立てば、現状維持と独立は矛盾しない。)そこで私は、面談した研究者全員に「頼がどこまで独立志向を強めたら、中国は我慢できなくなって武力行使に踏み切ると思うか?」と聞いてみた。これは今回の台湾出張で最も聞いてみたい質問の1つであった。
結論を先に言うと、「台湾が法的な独立(de jure independence)に向かえば、中国は武力を行使する」というラインがコンセンサスだった。[3] 〈法的な独立〉とは、中華民国憲法の改正または新憲法の制定、国号の変更、独立宣言などを意味している。
そのうえで、私が会った研究者たちは1人を除き、頼が法的な独立まで行くことはない、という意見だった。[4] それが正しければ、台湾独立が引き金となって台湾有事が起こる可能性も極めて小さい、ということになる。
ちなみに、「中国にとって武力行使のレッドラインとなる台湾の行為は何か?」という質問を中国の研究者に向けた場合、返ってくる典型的な答は「既にレッドラインは超えている。我々は、やろうと思えば、明日にでも武力行使できる」というものだ。一聴、やたら好戦的な言辞である。しかし、私はこれを額面通りに受け取っていない。いかなるものであれ、レッドラインを明示すれば、〈そこまでなら容認する〉という意味になる。しかも、台湾がそのレッドラインに近づいた場合、中国側は行動の自由を奪われてしまう。中国が見せる強気の答は〈レッドラインの詳細については触れない〉ためのディベート・テクニックの1つとみなすべきであろう。
台湾有事はない、と安心してよいか?
限られた数の面談ではあるが、私が台湾出張で聴取した研究者たちの意見を総合すると、中国の方から武力併合を仕掛けるシナリオも、台湾の独立を阻止するために中国が武力を行使するシナリオも、近い将来に現実になる可能性は極めて小さい、という結論になる。私自身も常日頃、台湾有事が起きる可能性はとても小さいと言っているので、この結論自体は十分納得できるものであった。だが同時に、これほど「台湾有事は起きない」というラインで意見が揃いすぎると、ちょっと気持ち悪いのも事実である。以下はこの気持ち悪さがどこから来るかを考察したものだ。
〈戦争はないと思うが故の冒険主義〉
外からは見えにくいが、権威主義体制の軍事大国にも不安や弱みはある。中国にとって、台湾独立は安全保障上のみならず、共産党支配の正当性を保持するためにも、絶対に阻止しなければならない事態だ。
ここで「中国による大規模な武力攻撃がいつあっても不思議ではない」と懸念されるような状況であれば、台湾もおいそれと独立に向けた動きを見せることはできないはず。しかし、「中国が大規模な武力攻撃を仕掛けてくることはまずない」という認識ならどうか? 台湾はもっと大胆になり、法的な独立までは行かなくても独立色をさらに強めようという誘惑が強まるだろう。本音では台湾を巡って中国と戦いたいとは考えていない米国政府も台湾の行動を容認する可能性が高まる。
〈民進党政権の継続と頼清徳〉
台湾では2016年以降、蔡英文・頼清徳と3期続けて独立色の強い民進党が政権を掌握している。しかも、台湾独立に関する限り、頼は前任者よりもアグレッシブなことで知られる。私も台湾の研究者たちから、頼が(李登輝から)「台湾独立の黄金の息子」と呼ばれたという逸話を何度も聞かされた。一旦納得すれば信念を変えず、有言実行するという人物評も耳にした。[5]
今年10月の双十節(建国記念日)で頼が行った演説は5月の総統就任演説よりも少し穏当だったと言われるが、彼が2028年までの任期中、独立志向を封じ込め続けるとは考えにくい。米中対立や中国の国内状況等を観察し、チャンスと見れば独立に向けた既成事実を積み上げようとする可能性は非常に高い。
〈米中対立〉
2000年5月~08年5月まで総統を務めた陳水扁は、台湾名義で国連加盟を申請するなど、独立志向の強い人物だった。だが当時、ブッシュ政権は対テロ戦争遂行のために中国の協力を必要としており、議会や社会一般も中国との経済的結びつきを重視していた。米国政府は陳政権に圧力をかけ、その独立志向を抑え込んだ。
今日は米中対立の時代と言われ、台湾問題は米中間の象徴的な争点の1つとみなされている。バイデン大統領は「台湾を軍事的に守る」と何度も発言し、2022年8月にナンシー・ペロシ下院議長が訪台した際も、同じ民主党の大統領として無理に止めることはなかった。オバマ政権までは控えられていた先端兵器の売却もトランプ政権以降は復活した。独立の余地を拡大させたい台湾にとって、この外部環境の変化は大きな支援材料となっている。(ただし、2期目のトランプが中台に対してどう出るかは注視する必要がある。)
〈独立をめぐる台湾の世論〉
今日、台湾の人々の8割以上は現状維持を望んでいると言われている。[6] だが、NATO加盟に対するウクライナ国民の態度は過去十数年の間で大きく変化した。[7] 台湾の世論も未来永劫変わらないとは言い切れない。
実は、現時点ですら、台湾の人々の独立志向は言われているほど低くないという見方もある。例えば、独立系世論調査機関の台湾民意教育基金会(TPOF)が2024年5月に行った調査では、「将来、台湾独立と中台統一のどちらを支持するか?」という問いに対する回答は、独立=47.2%、現状維持=28.5%、統一=12.4%であった。[8] また、国立政治大学が2024年6月に行った「統一か独立か」に関する調査では、「速やかな独立」=3.8%、「現状維持を続け、独立に向かう」=22.4%、「永遠に現状維持を続ける」=33.6%、「現状維持を続け、後で決める」=27.3%、「現状維持を続け、統一に向かう」=5.5%、「速やかな統一」=1.1%という回答だった。[9] 少なくとも当座は現状維持、という意見が9割近いが、将来も含めて独立を希求する人たちも4人に1人以上はいる、とも言える。
〈中国の手詰まり〉
台湾独立を阻止するため、中国は様々な形で台湾へ圧力をかけてきた。2022年8月のペロシ訪台に際しては、台湾近海に弾道ミサイルを発射するなど、過去最大の軍事演習を行った。最近も、頼総統が台湾のアイデンティティを強調する演説を行うたびに軍事演習を実施している。だが、私が会った研究者たちは「軍事演習はやっても、台湾に本気で侵攻するつもりはない」と一様に述べていた。民進党政権の独立志向を止めるには、決め手を欠いているのが実情だ。[10]
この手詰まりに対し、中国の代表的な対応は〈圧力を一層強化する〉というものだ。「法的な独立まで行かなければ、中国は大規模な武力行使を控える」というのは、現時点における台湾側の見方にすぎない。中国国内には「台湾を罰するために金門・馬祖を奪取すべきだ」と述べる人もいる。その実現性が高いというわけではないが、金門・馬祖であれば、台湾が守ることはまったく無理。ただし、万一中国がそれをやっても、台湾側はおとなしくなるよりも、独立の主張を強める可能性の方が高いと私は思う。手詰まりが解決することにはなるまい。
おわりに
台湾有事が起きることはない、と言いながら、台湾有事が起きないとは限らない、と論じることは、論理矛盾に聞こえるかもしれない。だが所詮、国際政治とはそんなものだ。重要なのは、その矛盾する状況の中で「いかに戦争を起こさないか」を考えることである。
台湾有事に関する基本認識は、「少なくとも近い将来、起きる可能性は極めて低い」というラインを基本シナリオとすべきだ。
日本の国家安全保障戦略は、明示していないものの、「今日のウクライナは明日の東アジアかもしれない」という情緒的な危機意識に流され、狭義の防衛予算を2027年度までの5年間で43兆円まで増額することを決めた。[11] 防衛力の強化・充実は確かに不可欠ではあるが、適正な脅威評価に基づけば、国家安全保障戦略が定めた増強ペースは過剰と言わざるを得ない。反撃能力を含め、保有すべき能力の優先順位付けにも不適切なものが散見される。
来年以降はトランプ大統領が更なる防衛費の大幅増を求めてくることも確実であろう。自民党内の右派や維新の会などは、それに乗ってワンパターンの防衛費増強大合唱を始めるかもしれない。〈脅威認識のインフレ〉とも言うべき状況から抜け出し、専守防衛を充実させる姿勢に立ち戻る(=適切なペースで防衛力を増強する)ことこそが肝要だ。トランプとの摩擦は覚悟するしかない。(今の日本は「いかにトランプのご機嫌をとるか」という話ばかりだ。実に情けない。)
同時に、「台湾有事は起きない」と安心・慢心することも厳に慎まなければならない。台湾有事が起きれば、日本も人命・財産上、致命的な影響を被る。そのことを考えれば、台湾有事の芽を極力早い段階で摘むこと=中国による一方的な武力行使と台湾による独立志向の双方を抑え込むことを国家安全保障戦略の中核に据えるべきである。ここを間違えて軍事的抑止力の強化のみを追求すれば、「今日のウクライナは明日の東アジア」という夢想譚も〈まったくあり得ない話〉ではなくなる。
来年は日本の安全保障にとって本当に大事な年になりそうだ。
[1] 第3党の台湾民衆党(TPP)は新興勢力であり、今年1月に行われた立法委員選挙でも国民党の52議席、民進党の51議席に対して、民衆党は8議席にとどまる。そのため、明確に民衆党色のついた研究機関はまだ存在しない模様である。また、若手の研究者の中には政治色の薄い学究肌の人もいたことを付言しておく。
[2] 「中国、6年以内に台湾侵攻の恐れ」 米インド太平洋軍司令官 写真3枚 国際ニュース:AFPBB News
[3] ただし、裏返して「法的な独立まで行かなければ中国は武力行使しない」と全員が述べたわけではない。
[4] ある研究者は、頼に助言する安全保障チームがトランプ政権の動きを読み誤れば、法律的な独立に向かう可能性が皆無ではない、と懸念を示した。
[5] 台湾の研究者の何人かは、頼政権になってから中台の意思疎通が事実上も途絶えていることに懸念を示した。蔡英文が総統になると、中台間に以前から存在した公式のパイプは閉じられてしまった。しかし、蔡の時代にはまだ、従来と違うことを演説するような場合には、非公式のチャンネルを通じて北京へ事前に知らせりしていた模様だ。頼政権は北京との間でそのような〈根回し〉する必要性を感じていないと見える。しかも、頼やそのブレーンたちは米国政府との事前調整についても従来ほど熱心ではないと言う。これでは、米国経由で中台が意見を調整するという機能も発揮されにくい。
[6] Tondu202406.jpg (1091×769) Public favors ‘forever maintaining status quo’: poll – Taipei Times Over 80% of Taiwanese favour maintaining status quo with China: Survey | World News – Business Standard
[7] 2014年頃までは加盟賛成が反対の3分の1程度しかなかったが、クリミア併合を受けて加盟賛成の声は反対を凌駕するようになる。2021年にはNATO加盟に賛成するウクライナ国民は反対する国民の2倍を超え、2022年1月には3倍以上と圧倒するに至った。Template:Popular support to NATO integration of Ukraine in Ukraine – Wikipedia
[8] 20240528-TPOF-May-2024-Public-Opinion-Poll-–-English-Excerpt.pdf
[9] Tondu202406.jpg (1091×769)
[10] 2019年春から2020年にかけ、逃亡犯条例の改正を契機に香港で大規模な民主化デモが発生し、多くの逮捕者を出した。台湾では一国二制度に対する幻滅が広がり、2020年1月の総統選挙で民進党の蔡英文が圧勝、再選を果たした。蔡は当初、国民党候補にリードを許していたが、鮮やかに逆転した。香港に対する中国の対応が台湾で独立派の政権維持を後押ししたと言ってよい。
[11] 今、政府・与党は「103万円の壁」を巡って「税収がない」と防御線を張るのに必死である。2年前、〈過大評価された脅威認識〉の下で防衛費を必要以上のベースで増額させる国家安全保障戦略を決めていなければ、「壁」を上げるための財源にももっと余裕があったはずである。