2024年6月16日
AVP本号でも前号に引き続き、私が中国で見聞きして考えさせられたことの一端を紹介する。[1] 今回は経済分野について。具体的にはEV産業の将来について思い巡らせたことを記す。
中国経済の影と光
日本では、昨年あたりから「中国経済衰退論」がちょっとした流行を見せている。不動産不況の深刻化、人口減少の始まり、党中央による経済活動の締め付け、米国が仕掛けるハイテク規制及び貿易戦争などにより、「中国経済の成長は終わった、あるいは少なくとも、大幅に鈍化する」という見方があちこちで語られている。
今回の短い中国出張でも、中国経済の〈変調〉は私にもしっかり感じられた。例えば、上海で2021年12月にオープンした「天安千樹」という巨大ショッピングモールへ行った時のこと。外から見た姿は壮観の一語に尽きたが、中に入るとガラガラだった。平日の午前11時頃で人出の少ない時間帯だったし、中国でもオンライン販売が激増しているという面は割り引く必要があるにせよ、「大丈夫か?」と心配になった。日曜日に北京で一番の繁華街と言われる王府井へ出かけた時も、熱気を感じることはなかった。
【天安千樹の外観(正面と左奥に見える山のような建物)】筆者撮影。
だが同時に、私には「中国経済が今後、バブル崩壊後の日本経済のように停滞を続ける」とは全然思えなかった。思い起こせば、日本経済の停滞はバブル崩壊と金融危機によって引き起こされた。しかし、2000年代に不良債権の処理が峠を越した後も停滞が続いたのは、〈人口減少〉と〈生産性の停滞〉が同時進行していたからだ。中国も2022年に総人口がピークアウトし、今後その影響がジワリと効いてくることは間違いない。しかし、不動産バブル崩壊の深刻さは日本の1980~90年代の方が勝る。[2] さらに日本との決定的な違いは〈経済の新陳代謝〉が活発であること。日本では過去数十年間にわたり、生産性の低い企業の多くが政府の保護によって生き延びる一方、世界的な競争力を持つ企業は減少の一途をたどった。それに対し、中国では倒産する企業や斜陽化する産業も多いが、それを凌ぐ勢いで起業や新興分野の産業が生まれている。上海では毎日1千社が起業している、と聞いた。この点では、中国経済は日本型ではなく、アメリカ型と言ってよい。
EVの普及
伸びる産業の代表例がEV(電気自動車)である。中国でEV車は緑のナンバープレートを付けているのだが、北京や上海では「2台に1台はEV」とすら感じられた。2023年に中国国内で販売されたEVは669万台で、同年に売れた自動車全体の22%を占める。2023年の米国のEV販売比率は7.6%、日本は約3%であった。バイクも電動が多く、歩行者優先の思想がないため、音もなく近づくバイクの群れに何度か恐怖を覚えた(苦笑)。
充電スタンドの数も日本より遥かに多い。2023年8月時点で中国には700万基以上の充電スタンドがあったと言うが、近年の増加ペースを考えれば、今は1,000万基くらいになっていても不思議ではないと思う。[3] 一方で、米国の充電施設は2023年で約24万カ所。[4] 日本の充電スポット数は2024年3月時点で3万2千口あまりにすぎず、2017年(約2万8千口)と比べても微増にとどまる。[5] 日本ではいつまで経ってもEVは〈黎明期〉が続く。しかし、中国では完全に〈普及期〉に入っている、と私は実感した。
【北京市街地にあるモールに付属した充電スポット】筆者撮影。
バイデンのEV関税
2024年5月14日、ジョー・バイデン米大統領は中国製EVの関税(現在は25%)を年内に4倍増の100%へ引き上げると発表した。[6] 6月12日には、EU欧州委員会が7月から中国製EVに17.4~38.1%の追加関税(現在は10%)をかけると発表した。[7]
こうした状況を受けて、「米国が半導体に次いで今度は中国のEVを標的にした。中国企業はEVでも追い込まれていく」という見方が囁かれている。「将来的にEV市場は米欧製と中国製で2つのブロックに分かれるかもしれない」という意見も耳にする。だが、少なくともEVに関しては、追い込まれるのは米欧側となる可能性の方が高い。
米国は今、対中デカップリング(デリスキング)を進めており、その鏑矢となったのが半導体である。だが実は、その開発・製造面で米国(西側)が中国に対して圧倒的な技術的優位性を持っているという意味で、半導体は数少ない特殊な分野と言える。例えば、エヌビディア(NVIDIA)は生成AIの中枢を担うGPU(画像処理装置)の設計に関して〈圧倒的一強〉の地位に君臨する。半導体製造についても、インテル、TSMC(台湾)、サムソン(韓国)など、米国や米陣営の企業がSMIC等の中国メーカーに対して数年以上のリードを保つ。半導体製造装置も中国は日本やオランダ、ドイツ頼みから脱せない。こうした明確な優位性が西側にあってはじめて、米国が主導する半導体分野の対中輸出規制は(少なくとも短期的には)一定の効果をあげているのだ。
中国EVメーカーの実力
しかし、EVになると話が違ってくる。中国のEVメーカーの競争力は極めて強い。2023年時点で世界のEV販売シェアは、1位が米国のテスラ=19.3%、2位は中国のBYD(比亜迪)=16.0%の二強状態だった。(同年の日本勢のEV販売シェアは、日産・三菱・ルノー=3.2%、トヨタ=1.0%、ホンダ=0.2%。)[8] 今年はBYDがテスラを抜いてトップに躍り出るという見方が強い。
BYD以外にも、AION(広州汽車系)、ZEEKR(吉利汽車系)、AITO(ファーウェイ出資)など、中国メーカーは新旧取り混ぜて元気がよい。こうした中国メーカーの競争力の源泉を多額の政府補助金だけに求めるのは間違いだ。温暖化対策を含めてEV化推進が中国の国策となった結果、充電スポット等の社会インフラが整備されて巨大な国内市場が誕生し、そこで電池やインターフェースを含めた中国企業同士の世界一厳しい競争が起きた。今や、中国国内で販売しても利益は出ないが、輸出すれば他国企業は太刀打ちできないレベルになったと言われている。
中国勢の快進撃に対し、米欧では中国政府の補助金が過剰生産を招き、ダンピング輸出に繋がっているという批判の声が上がった。前述の米・EUによる追加関税はその延長線上にあるわけだが、こうした措置によって中国EVメーカーを弱体化させることができると考えるのは見当違いと言うもの。仮に「中国製EVが欧米市場から完全に締め出される」という中国にとって最悪の事態が起きた場合でさえ、中国のEVメーカーは十分にやっていけると考えられる。
まず、米欧の追加関税によるダメージは限定的なものにとどまる。米国に関しては、中国製EVに100%関税をかけても、中国の自動車産業にとって直接的な被害は無いに等しい。2024年第1四半期に米国が輸入した中国製EVはわずか1,700台だった。[9] EUに関しては、今年販売されるEVの4台に1台は中国製になると予想されているから、追加関税は中国企業に一定の打撃を与える。[10] だが、中国側にはEU域内(例えば、ハンガリー)で現地生産を増やす等の選択肢が残っている。しかも、中国が対抗措置を取れば、ドイツ社などEU勢が中国市場で被る打撃の方が大きくなりかねない。(ドイツのハーベック経済相は近々訪中し、EUによる追加関税を阻止あるいは緩和するための協議を行う模様だ。[11])
もっと根本的な問題として、米国やEU以外の地域では、中国製EVに追加関税を本格導入する動きに追随する国は、あってもごく僅かにとどまることが予想される。つまり、最悪8億人の米・EU市場を失ったとしても、14億人の自国市場を含め、70億人規模の市場は残る。価格競争力に秀でた中国のEVメーカーが米欧から締め出され、「その他」市場になだれ込めば、逆に中国勢がそこを席巻する可能性が高い。
【コラム】 EV限界論に潜む罠
最近、充電効率の問題と共に寒冷地で動かくなるケースや火災事故の発生が指摘され、しかもトヨタのハイブリッド車販売が絶好調なものだから、「EV限界論」のようなものを耳にすることが増えた。だが、気候変動への対応という〈錦の御旗〉は今後もなくならない。何より、日本の電池メーカーを含め、EV陣営が今指摘されている問題を座視するわけがない。技術的問題は早晩、克服されるだろう。「EVは失速したから中国メーカーに明日はない。EV一択戦略を採らなかったトヨタが最終的な勝者になる」などという現実離れした身内贔屓は戒めたい。
しかも、ほとんどの日本人は気づいていないが、中国企業はPHEV(外部充電可能なプラグイン・ハイブリッド)車の分野でも既にフロント・ランナーだ。今や、中国の自動車市場の17.4%はPHEVが占め、世界のPHEV市場における中国メーカーのシェアも70%を超えている。[12] 中国の実力は過大評価でも過小評価でもなく、等身大に評価することが肝要である。[13]
日本の選択
在中国の日本人駐在員から聞いた話では、今、日本メーカーが密かに恐れていることは、米・EUの追加関税導入によって中国のEVメーカーが東南アジア市場へ本格参入する時期を早めることだと言う。温暖な東南アジアでは、安価なEVでも不都合がないことも中国勢にとっては有利な材料となる。これまで日本の自動車メーカーにとって〈金城湯池〉だった東南アジア市場でシェアを奪われれば、各社の経営の屋台骨は揺るぎかねない。
短期的なことを言えば、日本は中国のEVメーカーが世界中の市場へ分散してくれた方が助かる。米国やEUに追随し、中国製EVに追加関税をかけるような真似はやめておいた方がよい。半導体のように先端技術を中国へ渡さないという手法も、中国メーカーが技術的にリードするEVでは適用不能である。むしろ、日本の自動車メーカーが今後生き残るためには、中国メーカーとの協働を強めるほかないだろう。日本では、産業政策においても「チーム・ジャパン」という言葉がもてはやされている。国別対抗のスポーツの世界ならわかるが、産業政策では〈島国根性丸出しの弱者連合〉にすぎない。中国メーカーの傘下入りも選択肢から排除する必要はない。スウェーデンのナショナル・ブランドと言ってよいボルボも2010年に浙江吉利控股集団の傘下(82%株主)入りした。
日本政府に求められる役割は、日本企業が中国企業と協働しやすくするための環境整備である。今年4月16日にドイツ政府は中国政府との間で自動運転やコネクテッド・ドライブ(車載通信システムを使った運転支援サービス)に関して協力する旨の共同宣言に署名した。日中の政府間でも民間の協力を後押しすると共に、知的所有権問題をはじめ、日本企業の権利保護を中国政府に働きかけるべきだ。
日本政府が行うべき環境整備には、米国政府やEUに対し、日中企業の協働に対して過剰な妨害を行わないよう牽制することも含まれる。今、日本企業の多くは「中国企業と新規ビジネスを行えば、米国から経済安全保障を理由に〈イチャモン〉をつけられ、二次制裁の対象になるかもしれない」と考えて対中ビジネスに二の足を踏んでいる。せめて日本政府には、「ここまでなら米国政府は介入しない」というレッドラインを確認するくらいのことはやってもらいたい。米国政府から圧力がかかった場合も、米国の経済安全保障の論理を鵜呑みにするのではなく、日本企業のために戦ってほしい。(何で自国の政府にこんなことをわざわざ注文しなければいけないのか? 情けない。)
終わりに~中国に背を向けてはならない
私が5月に行った中国出張に基づき、AVP前号と本号で2本の論考をお届けした。中国へ行く前、私は日本人の中国研究者(複数)から「拘束されないよう気を付けてください」と〈アドバイス〉を受けた。中国へ行ってみると、中国人の学者たちから「コロナが収束した後も中国を訪れる米国の研究者は減少したままだが、それでもある程度は来ている。でも、日本の研究者は本当に来なくなった」という不満とも嘆きともつかない声を何度も聞かされた。[14] ある中国人は「日本は中国のことを脅威だと言うのだから、敵を知るためになおのこと中国へ来るべきではないのか?」と皮肉まじりの冗談を投げかけた。
学者だけではない。向こうで会った日本人駐在員も「日本の本社の〈お偉いさん〉から『中国へ行こうと思うが大丈夫か?』と照会が入り、『まぁ大丈夫でしょう』と答えると『絶対に大丈夫か?』と確認してくる。『100%とは言えませんけど』と返すと『じゃあ、やめとこう』となる」と顔をしかめていた。日本企業の方が中国で拘束され、その理由もはっきりしないままという事案があるのは嫌な話ではある。でも、中国へ行った日本人が片っ端から拘束されているわけではまったくない。ここまでリスクを取るのを嫌がっていては、日本経済の未来は暗い。
中国のことを好きになれとは言わない。だが、中国の懐に飛び込むくらいの気概は持っていたい。政治でも経済でも、日本に中国と付き合わない選択肢はないのだから。
[1] » 頼清徳演説と日中の認識ギャップ ~日本からでは見えない中国① Alternative Viewpoint 第65号|一般財団法人 東アジア共同体研究所 (eaci.or.jp)
[2] 中国の不良債権問題が深刻な状況にあることは事実である。ただし、政府が地価をコントロールしているため、日本のバブル崩壊時のように地価の急落が表面化しづらいうえ、不動産取引の慣行上、銀行部門の傷は比較的浅く済んでいる。〈不良債権問題が銀行の貸し渋りを招き、経済全体の活動を低下させた〉日本とのアナロジーで中国経済を論じれば、実態以上の悲観論に陥る可能性が高い。
[3] 近年、中国の充電スタンドの数は信じられない勢いで伸びている。中国充電インフラレポート (上) – 自動車産業ポータル マークラインズ (marklines.com)
[4] How Many EV Charging Stations Are in the U.S.? 2024 | ConsumerAffairs® 米国に関してはステーションの数しか資料が見つからなかった。
[5] 【2024年最新】EVの普及率はどのくらい?日本と世界のEV事情を解説 – EV DAYS | EVのある暮らしを始めよう (tepco.co.jp)
[6] EVのほかにも、中国製リチウムイオン電池への関税を7.5%から25%、ソーラーパネルへの関税を25%から50%、半導体に対する関税を25%から50%に引き上げ、特定の鉄・アルミ製品についても7.5%以下から25%に引き上げることが同時に発表された。
[7] これは暫定措置であり、欧州委員会は11月2日まで補助金に関する調査を行う。その後は、調査に協力した企業には21%、非協力的だった企業には38.1%の追加関税が課されることになる。EU、中国製EVに最大38.1%の追加関税発動へ 中国は反発 | ロイター (reuters.com)
[8] 世界EVシェア、失速は米・韓・日仏の3陣営 テスラ・BYD上昇 – 日経モビリティ (nikkei.com)
[9] US tariff smackdown on Chinese EVs leaves EU playing catch-up – POLITICO
[10] One in four EVs sold in Europe this year… | Transport & Environment (transportenvironment.org)
[11] 中国EVへのEU追加関税、ドイツが阻止もしくは緩和に動く-関係者 – Bloomberg
[12] 2022年の世界販売台数は、普通のHEV=353万3000台、PHEV=272万8000台だった。普通のHEVにおいては、トヨタが58.4%、ホンダが13%を占めた。一方で、PHEVの方は、BYDの34.3%をはじめ、中国企業(と欧州企業)がひしめく。HEV業界地図、地域によって今後の販売台数に顕著な差 | 日経クロステック(xTECH) (nikkei.com)
[13] 長澤まさみさんをCMに起用して話題のBYDは先頃、新しいPHEVを発表した。燃費=33㎞/ℓ、1回の充電で2100㎞(エンジン併用)走り、価格も220~300万円程度になると言う。これなら遠出する場合でも実用的だし、(PHEVでない)ハイブリッド車よりも安いくらいである。 日本車神話に終止符か。中国BYD、最新PHEVを発表 航続2100kmで220万円から | 36Kr Japan | 最大級の中国テック・スタートアップ専門メディア
[14] 今回訪問した南京大学のキャンパスには米ジョンス・ホプキンズ大学との間で1986年に設立したホプキンズ・南京センターがあった。キャンパスでは米国人学生の姿を見かけたし、米国留学から一時帰国中の中国人学生とも話した。