東アジア共同体研究所

経済後回しの軍事戦略に未来はない ~ 国家安全保障戦略と軍事優先の罠② Alternative Viewpoint 第58号

2023年12月28日

 

前号(AVP第57号)で戦後日本の国家戦略の変遷を追跡したのを受けて、本号では現行の国家安全保障戦略(National Security Strategy of Japan、以下NSS2022と略記)について論じる。[1] 本稿の問題意識は「大戦略の文脈で見た時、国家安全保障戦略に問題はないのか?」というものだ。大戦略(Grand Strategy)とは、〈経済・安全保障・外交等を含む、総合的かつ最上位の国家戦略〉のこと。日本では文書化されていないが、概念的にはNSS2022や「骨太の方針(経済財政運営と改革の基本方針)」もその下部戦略と位置づけられる。

 

大戦略の文脈から見た国家安全保障戦略2022

昨年12月16日、2013年版に続いて2度目となる国家安全保障戦略が閣議決定された。NSS2022は、①軍事力重視(今後5年間で防衛省・自衛隊関連の防衛費を約1.6倍に増額すること、継戦能力を強化すること、他国領土を攻撃する能力[反撃能力]の保有を明記したこと等)、②日米同盟及び同志国との連携強化、③事実上の「中国=潜在敵国」視、等を打ち出した。[2]

〈2010年代以降の安保政策の集大成〉

NSS2022は「日本の安全保障政策の大転換」と評価されている。しかし、過去の日本の戦略を振り返った後で客観的に眺めれば、NSS2022の内容の大半は2022年になって突然出てきたものではなく、安倍政権以降の外交安全保障政策の延長線上にあることがわかる。例えば、防衛費の大幅増は安倍政権下で始まっていた。敵基地攻撃能力(反撃能力)保有論も2010年代以降に自民党保守派が主張してきたことだ。もちろん、2022年2月に起きたロシア・ウクライナ戦争がNSS2022の中身をより大胆で過激なものにしたことは疑いがない。だが、その基本的性格はあくまでも2010年代に日本の外交安全保障政策に起きた変化を集大成したものと捉えるのが正しい。

〈安全保障が最優先〉

では、NSS2022は日本の大戦略との関係ではどのように位置づけられるのだろうか? それを理解するためには、NSS2022が2023~27年度の5年間で防衛費を43兆円支出すると〈昨年12月の時点で〉決めたことの意味を考える必要がある。これは事実上、「日本政府が大戦略の中で安全保障を最優先課題に位置付ける」ことを宣言したのと同じことだった。

岸田内閣は今年になって経済戦略の議論を本格化させた。岸田はその「目玉」として、安倍内閣や菅内閣ではあまり顧みられなかった少子化対策(子育て支援等)を大胆に打ち出したいと考えていたように見える。今日の日本経済の抱える構造的大問題の1つが人口減少(労働力不足)であることを考えれば、その方向性は正しい。しかし、子育てや教育に対する支援を本気でやろうと思えば、莫大な予算が必要だ。ここで岸田の子育て支援ははたと行き詰まった。昨年12月の時点で、今後5年間に費やす防衛省・自衛隊予算を43兆円に増額し、2027年度の防衛予算は現在よりも3.7兆円多い8.9兆円にすることを既に決めていたからだ。子育て支援を含め、経済対策は防衛費を大幅に増やした後の〈残りの財源〉でやらざるを得ない。しかも、税外収入・決算剰余金・歳出改革による捻出分という追加財源の有力候補は防衛費増額分に回すことが真っ先に決まった。かと言って、増税や国民負担の増大選挙に大マイナスとなるだけでなく、経済成長を阻害する可能性が高い。国債増発も今の金融緩和見直し局面ではリスクが大きすぎる・・・。政府は今、大胆な経済戦略を組もうにも「ない袖は振れない」状態に陥っているのだ。岸田の経済対策や少子化対策が〈ショボい〉ものになるのも必然と言える。

このまま行けば、少なくとも今後5年間、日本では安全保障戦略が大戦略の最上位に君臨し、経済よりも安全保障が重視される事態が続く。昨年12月に国家安全保障戦略を閣議決定した時、岸田がそのことを理解していたかどうかはわからない。

 

安全保障を経済に優先させることの是非

戦後日本の国家戦略史上、大戦略の中で安全保障が経済よりも明確に上に置かれたのは初めてのことであろう。だが、問題は「初めてか否か」ではない。それが日本の将来にとって良いのか悪いのか、である。

〈経済の停滞と軍事増強路線の持続可能性〉

大戦略の観点からNSS2022を好意的に評価するとすれば、「中国との関係が緊張を孕む状況下にあって、経済力における不利を軍事力の強化で補完し、併せて米国の『威を借る』ことで中国に対抗する」試み、と見ることができよう。これなら一聴、戦略として合理的に聞こえないでもない。しかし、長い目で見た時、日本経済が回復しないままで軍事力の増強を続けられると考えるのはいかにも無理がある。日本経済が抱える構図的な問題(特に、低生産性と人口減少)は市場任せで解消するような代物ではなく、国家的取り組みが不可欠だ。それなのに国のリソース(予算・人材等)を過度に安全保障に注ぎ続ければ、日本の経済力・技術力が沈み続けることは自明の理である。

ここで頭の体操の材料として、今後10年の日本と中国のGDPと軍事支出を試算してみたい。為替レートは固定しているし、前提条件も厳密なものではないが、問題の本質は知るには十分であろう。

まず、日中の経済(GDP)はどうなるか? 試算では、2028年までの数字は日中ともIMFの予測値を採用した。[3] その後については、中国経済の成長率が2030年に3%、40年には2%へ低下すると想定。[4] 日本経済については、労働力不足、技術力の低下、社会保障負担の増加等によって「2030年代にはゼロからマイナス成長に落ち込みかねない」という日本経済研究センターの予測を参考にした。[5] 以上を前提に計算した結果が上記の表である。
日中の経済規模較差は、2022年の「1対4.2」から2037年には「1対6.5」まで拡大する。

次は軍事支出だ。下記の表では、中国については2022年の国防支出の対GDP比(1.6%)が将来も変わらないと仮定し、それを上記予測のGDPに乗じて算出した。日本については、防衛力整備計画に基づいて2027年の数字を8.9兆円と置き、それ以降は中国同様にGDPと同率で伸びると仮定した。[6]

2022年時点で6.3倍だった日中の軍事支出較差は、2027年に5.2倍まで縮まる。日本が今後5年間で防衛費を大幅に増強する効果にほかならない。だがその後、日中較差は再び拡大して2037年には6.8倍に広がる。
もちろん、日本には2028年以降も防衛費の対GDP比をさらに引き上げるという選択肢も理論上はある。しかし、そのための財源確保は今回以上に困難であろう。さらに言えば、軍事支出の対GDP比を引き上げる〈余力〉は、日本よりも中国の方がずっと大きい。[7]

以上の試算を通じて、経済が少なくともある程度は成長しないと、軍事支出だけを突出して増やそうとしても長続きせず、中長期的には軍事力強化も「絵に描いた餅」になることがはっきりしたと思う。

〈戦争が目の前にあるのか?〉

軍事・同盟最優先で外交安全保障を経済の前面に出す大戦略が最も相応しいと言えるのは、〈中国との間で明日にも戦争が起きる〉という状況に置かれている場合だけであろう。しかし、現状は違う。昨年2月に起きたロシアのウクライナ侵攻は我々に極めて大きな衝撃を与えた。岸田総理を含めた多くの政治家は「今日のウクライナは明日の東アジア(台湾)だ」と大合唱し、米国の一部(対中タカ派と一部軍人)も「2027年にも台湾有事が起きる」と煽り、メディアもそれに乗った。だが冷静に考えてみると、予見できる近い将来に中国の方から台湾へ武力侵攻するシナリオは非常に考えづらい。[8] 尖閣有事や朝鮮半島有事についても同様である。

NSS2022には「戦後最も厳しく複雑な安全保障環境」という表現が少なくとも5回は出てくる。しかし、歴史的事実を踏まえれば、これも〈盛りすぎ〉あるいは〈悪ノリ〉と言うべき。朝鮮戦争(1950~53年)は我が国の隣で起きた。米ソ間のキューバ危機(1962年10月)は世界的な核戦争の一歩手前まで行った。少し性格は違うが、終戦直後の日本の指導部は共産主義による間接侵略を現実的な脅威と捉えていた。他にも、1994年5月にクリントン大統領は北朝鮮の寧辺核施設を空爆する一歩手前まで行った。[9] 百歩譲って、今日が「戦後最も厳しく複雑な安全保障環境」だとしても、それは「戦争が間近に迫っている」のとはまったく異なる

安全保障を語る場合、「もしも(If)」に備えるべきことは当然である。しかし、日本経済の将来展望の暗さを思えば、「もしも」が起きる確率を度外視して安全保障最優先で予算を注ぎ込むような〈贅沢〉はとても許されない。

 

おわりに

民間エコノミストの予測では、今年(2023年)の日本の実質GDP成長率は+1.5~2.1%程度と見られ、久々に良い数字となりそうだ。[10] しかし、その先の見通しは暗い。昨年度、日本のGDP(名目)が世界のGDPに占める割合は4.2%にまで落ちた。今年はドイツに抜かれて世界4位になると見られる。1人当たりのGDP(名目)はOECD加盟38カ国中21位労働生産性は同30位といずれも過去最低に。[11] 日本は今も人手不足が深刻だが、2025年から2040年までの15年間で20~64歳の人口は約1千万人減るという予測だ。[12]

にもかかわらず、日本の政治家・官僚・知識人・メディアの多くは「日本の最大の危機は安全保障にある」と言って悦に入っている。経済を口にする政治家も、有権者に媚びて一時しのぎの減税やバラマキを主張する者ばかりだ。このまま手をこまねいていたら、日本は世界との競争に間違いなく敗れ去る

日本は今一度大戦略を組み立て直し「令和の経済復興」を国家の最優先課題に据えるべきだ。
例えば、「2030年代に1~2%成長ができる経済」を大戦略の最優先目標とし、経済の生産力向上策と人口減少対策に政策資源と予算を集中的に投入する。[13]
安全保障については、継戦能力の強化など「専守防衛の充実」に重点を置きながら、防衛予算増額のペースを抑える。[14] そのためにも、また日本のビジネス環境を悪化させないためにも、台湾情勢を含めた米中対立の制御に全力を尽くす。
日米同盟は引き続き重要だが、米国に使われるばかりでなく、米国を利用する発想をもっと強める。米中への影響力を高めるため、近隣諸国や欧州諸国、グローバルサウスとの連携を強化する。

もうすぐ迎える2024年は、世界だけでなく、日本の政治も激動の予感がする。その過程で日本の大戦略を再検討する議論も起こしてほしいものだ。

 

 

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[1] » 戦後日本の国家戦略を振り返る ~ 国家安全保障戦略に見る軍事最優先の本末転倒① Alternative Viewpoint 第57号|一般財団法人 東アジア共同体研究所 (eaci.or.jp)

[2] 中国が事実上、潜在敵国とみなされているというのは私の受け止めである。NSS2022に「中国が潜在敵国である」という類いの表現はないし、中国を「脅威」と呼ぶ文言も存在しない。ただし、「中国の対外姿勢、軍事動向等」はNSS2013における「懸念事項」から、NSS2022で「深刻な懸念事項」かつ「最大の戦略的挑戦」に格上げされた。また、NSS2013で14回だった中国への言及はNSS2022では21回に増えた。中国は経済的威圧の文脈でも名指しされている。

[3] World Economic Outlook (October 2023) – Real GDP growth (imf.org)

[4] Revising down the rise of China | Lowy Institute

[5] 30年代、マイナス成長突入か回避かの分岐点 | 公益社団法人 日本経済研究センター (jcer.or.jp)

[6] 日中の2022年の数字はSIPRIから採った。SIPRI Milex

[7] 日本の財政赤字残高のGDP比が261%であるのに対し、中国の数字は55%(地方の隠れ債務を入れると66%)である。中国の政府債務は日本に次ぐ水準に|日本総研 (jri.co.jp) また、中国は民主主義国家でないために果断な決断を行いやすい。

[8] 中国の台湾侵攻能力は(危機を煽る目的で意図的に)過大評価されている。また、ロシア・ウクライナ戦争も中国指導部に慎重姿勢を促した部分の方が大きい。2022年3月31日付AVP第37号参照。 » ウクライナの次は台湾? 【Alternative Viewpoint 第37号】|一般財団法人 東アジア共同体研究所 (eaci.or.jp)

[9] 一般にはそこまで認識されていないが、トランプ政権時の2017年も米朝間でまかり間違えば軍事衝突が起きかねない危険な年だった。この時点で北朝鮮は既に日本を射程に収める核ミサイルを保有していたと推測される。

[10] 7-9月期は一時的なマイナス成長へ:2024年の日本経済は「内憂外患」の様相が強まる|2023年 | 木内登英のGlobal Economy & Policy Insight | 野村総合研究所(NRI)
2024年の日本経済見通し 2023年12月21日 | 大和総研 | 神田 慶司 | 田村 統久 (dir.co.jp)

[11] 日本の1人あたりGDPがG7最下位…円安が影響、OECDでは21位 : 読売新聞 (yomiuri.co.jp) 日本の労働生産性、OECD加盟国で30位と過去最低…1位のアイルランドと80年代は同水準 : 読売新聞 (yomiuri.co.jp)

[12] RIETI – 「2040年問題」「2054年問題」をどう乗り切るか

[13] 岸田内閣が今やろうとしている定額減税や給付金や一時しのぎのバラマキに過ぎない。防衛費増額に注ぎ込む財源の一部をそんなことにを回しても、金をドブに捨てるようなものだ。あるべき経済対策についての私の見解は2023年10月15日付AVP第56号に書いた。 » 「社会変革を通じた経済対策」はまだか?  Alternative Viewpoint 第56号|一般財団法人 東アジア共同体研究所 (eaci.or.jp)

[14] 台湾有事が早期に起こる可能性が低いことを考慮すれば、「5年で43兆円」というペースは不必要に早い。例えば「10年で43兆円」にする等、ペースダウンすれば経済戦略に回せる予算が多少は生まれる。敵基地攻撃能力(反撃能力)という防衛コンセプトも抜本的に見直すべきだ。 » 「国防バカ」がつくる欠陥戦略~ウクライナ戦争に学ぶ日本の防衛力整備⑤   Alternative Viewpoint 第47号|一般財団法人 東アジア共同体研究所 (eaci.or.jp)

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