2022年3月10日
はじめに
2月24日、ロシアがウクライナへ軍事侵攻を開始した。以来、日本では永田町からお茶の間まで「民主主義のウクライナを専制主義のロシアから守るべきだ」という合唱が聞こえてくる。日本のメディアが伝える欧米(ウクライナを含む)発の情報も同様のラインだ。私はもちろん、ロシア発の情報を真に受けるわけではない。プーチン大統領は絶対に間違っている。ロシアの武力行使も断固非難されるべきだ。しかし、「ウクライナ=善、ロシア=悪」という二元論に立ってロシアに圧力をかけ、ウクライナを援助すれば、事態は良い方向へ向かうのであろうか? そんな単純な話のわけがない・・・。
そんなモヤモヤした気持ちで米シンクタンクのホームページを漁っていたところ、価値観や善悪二元論に目を曇らされることなく、冷静な議論を展開する専門家もいた。AVPでは私の論考をメインに据えて配信することを基本姿勢としている。だが本号では、私が「この見方はとても参考になる」と思った専門家の意見の紹介を中心にした方が手っ取り早いし、フェアだと思った。というわけで、本号ではウクライナ戦争の先行きに関する2人の米外交専門家の議論を取り上げ、〈プーチンと妥協する(=ウクライナのNATO非加盟を担保する)ことの重要性〉を訴えたい。
戦闘の継続とエスカレーション
最初に紹介するのは、カーネギー国際平和財団のクリストファー・チヴィス上級研究員が書いた「ウクライナにおけるロシアの戦争はいかに終わるのか?」という3月3日付の評論である。[i] 国家情報会議(NIC)で欧州担当情報官を務めたチヴィスは、ウォー・ゲーム(戦争シミュレーション)の結果や諜報機関で働いた自らの経験をもとにしてウクライナ戦争の先行きを論じている。戦争が今後どうなるかというシナリオはそれこそ無数に考えられる。だがチヴィスによれば、究極的には2つに収斂する。戦争が続いて最後は核兵器が使われるリスクを招くか、どこかで米露が妥協するか、である。では、ロシアとウクライナの戦争が続けば、どうなるのか? チヴィスの描く未来予想図を以下に紹介する。もちろん、ウクライナ戦争がこの通りに展開するということにはなるまい。だが、安全保障の観点からこの戦争の本質を考える材料に富んだ分析であることは間違ない。括弧内には私の解説及び感想を書いておいた。
≪ゼレンスキー追放と傀儡政権の樹立≫
ロシア側がこれまで費やしてきたものを考慮すれば、プーチン大統領がウクライナを屈服させることなく、戦争を終わらせることはできなくなっている。ゼレンスキー大統領を追放することは最低限必要であろう。(現時点までにロシア軍は人的にも物的にも多大な損害を被り、米欧等の経済・金融制裁によって国富も大幅に失われた。この犠牲に見合う戦果がないまま停戦ということになれば、プーチンはロシア国内で権力を失いかねない。)
ゼレンスキーを追放したり、亡き者にしたりするためであれば、プーチンはキエフを焦土にすると脅しをかけ、場合によっては実行することも厭わないだろう。プーチンにはグロズヌイ(チェチェン共和国)やアレッポ(シリア)を破壊した〈実績〉もある。(日本から見ていると、米欧等による前例のない経済制裁によってロシア経済が今にも崩壊したり、プーチンが失脚したりすると思えるかもしれない。だが、戦前の日本や今日の北朝鮮の例を持ち出すまでもなく、経済制裁によって体制を打倒したり、戦争をやめさせたりすることは至難の業である。少なくとも短期的には、経済制裁でプーチン政権が倒れるなどとは期待しない方がよい。ここまでロシア軍は苦戦しているようにも見えるが、多少時間はかかっても最終的には軍事力の総量で勝るロシアの進撃は止められない、と考えるのが順当である。)
ゼレンスキー追放後、ウクライナには傀儡政権が樹立され、ロシアとの間で戦闘を停止することになるだろう。傀儡政権はウクライナの中立を約束するほか、集団安全保障条約機構(CSTO)に加盟する可能性もある。
≪反政府軍による抵抗≫
だが、これは表面的な終戦に過ぎないだろう。キエフが陥落した後も、ウクライナでは(傀儡政権に対する)反政府軍や亡命政府がプーチンと傀儡政権への抵抗を続けると考えられる。今回の侵攻を通じてNATO諸国のプーチンに対する憎悪と不信は一線を越えてしまった。米欧諸国は反政府軍を強力に支援しないわけにはいかない。(米欧諸国が掌を返したようにして傀儡政権を承認し、対露制裁を緩和するようなことがあれば、バイデンをはじめ西側の指導者たちは国内的に厳しい批判に直面するだろう。振り上げた拳は降ろせないと予想するのが常識的である。)
≪NATOとロシアの戦闘≫
NATO側による反政府軍への支援が効果的であればあるほど、ロシアはNATO域内に設けられた反政府軍の拠点を(正規軍でない部隊を使って)攻撃する誘惑にかられることになる。それが実行されれば、NATOとロシアの戦争は現実に近づくだろう。(今日、ゼレンスキーはNATOがウクライナに飛行禁止区域を設定するよう求めるなど、米欧諸国をロシアとの軍事的な戦いに巻き込もうと必死だが、米欧側はそれに応じる素振りを見せない。ロシアとの戦闘が核兵器の使用を招く危険を肌で感じているからである。だが、ロシアとウクライナ(将来的には反政府軍)との戦争が長期化すれば、バイデンやNATO諸国が現在最も避けたがっているロシアとの戦闘が起きる可能性は増大してしまう。なお、米国とロシアが戦うことになれば、日本にロシアと戦う気があろうがなかろうが、ロシアは在日米軍基地のある日本を敵とみなす。その場合、日本(在日米軍基地)がロシアから攻撃されることも十分にある得る。)
≪プーチンが核兵器の使用を考える時≫
ここで戦慄すべきは、チヴィスの関わった複数のウォー・ゲームは「自分の体制が脅かされているという結論に達すれば、プーチンはおそらく核兵器を使用する」という展開をたどったという事実だ。プーチンにとって何が「体制への脅威」に当たるかは断定できない。NATO軍がロシア領土に大挙侵入するようなケースは確実に該当するだろう。では、ウクライナにおける反政府軍との戦いで劣勢が続き、ロシア国内でプーチンの権力基盤が崩れそうになった場合はどうか? チヴィスは、そのような場合にプーチンが核兵器の使用に踏み切る可能性も排除できないと考えているようだ。
≪米露による核の応酬≫
初期段階においては、プーチンが核兵器を使用する理由は核兵器によって西側を亡ぼすことではなく、所謂「鎮静化するためのエスカレーション」である。つまり、西側を脅すことによって事態の収拾を図りたいのだ。最も考えられるのは、ウクライナ領内にある反政府軍の拠点を小型核で攻撃すること。核実験を実施したり、ウクライナや東欧・北欧等の都市の上空で高高度核爆発を起こしたりする可能性もある。チヴィスの参加したウォー・ゲームによれば、米国はロシアが行ったのと同じ形態・規模の核攻撃をロシアに対して行い、同時に交渉を提案する。だが、米露間で協議が持たれて事態が収束するのは、両国政府間に意思疎通のチャンネルが確保され、双方が真摯に政治的出口を求める場合に限られた。より多くのウォー・ゲームでは、ロシアはさらに核による報復を行い、米露間で核の応酬となった模様である。(冷戦期の米ソ間に「長い平和(Long Peace)」が達成されたのは、両国間に核戦力のパリティが成立し、相互各省破壊(MAD)が成立したためばかりではない。キューバ危機のあと、米ソは軍縮・軍備管理交渉を繰り返し、意思疎通チャンネルを確立した。そして、米ソは「戦わないことの利益」を相互に確認していたのである。それに引き換え、現在の米露間には憎しみが横たわり、戦略的利益を冷徹に確認しあうような空気は皆無である。)
仮に米露による核兵器の使用がそれぞれ1度で済んだとしても、我々は〈核兵器を使用することがタブーでない時代〉を迎えることになる。もちろん、世界中で核拡散が進むことに対しても、歯止めは失われる。
≪バイデンはプーチンと妥協できるか?≫
チヴィスは、核兵器が使用される戦慄シナリオを避けることが最も重要であり、そのためには、ウクライナに傀儡政権が打ち立てられた時にバイデン政権はロシアとの間で妥協するしかない、と主張している。だが、バイデンはNATO諸国の反発やウクライナ・ロビーの圧力、米国内保守派の強硬論などに直面することになる。バイデンが外交的柔軟性を発揮できるかは何とも言えない。(米国では今年11月に中間選挙がある。バイデンとしては、ロシアとの妥協に舵を切って民主党政権の「弱さ」を見せたくないだろう。日本も含め、西側では「ウクライナ=自由と民主主義、ロシア=非道な専制主義」という価値観の違いに基づいた二分法が強調されている。これもロシアとの間で妥協を困難にするだろう。もう一つ、メルケル前独首相が政治の表舞台から去ったことも痛い。メルケルは柔軟姿勢を毅然として貫くことのできた稀有の政治家であった。)
鍵を握る「ウクライナのNATO非加盟」
次に紹介するのは、ブルッキングス研究所のマイク・オハンロンによる「ウクライナに関する神頼みのパス」という3月3日付の論考である。[ii] オハンロンも最終的にはロシア軍がウクライナ側を圧倒し、ウクライナが完全に破壊されることになると予想している。それを防ぐため、米国はロシアに圧力をかけるだけでなく、ロシアと交渉すべきだというのが彼の主張である。ちなみに、「神頼みのパス(Hail Mary)」とは、アメフトで苦戦しているチームがゲーム終盤で投じる〈一か八か〉のロングパスのことらしい。
オハンロンが考える米露交渉の肝は、ロシアとウクライナの間で停戦を実現して〈ロシア軍を撤退させる〉代わりに、ウクライナの安全が保障される条件の下で〈同国がNATOに加盟する道を将来にわたって閉ざすことに米欧が同意する〉ことにある。オハンロンがモデルとしているのは、第二次世界大戦末期に米英仏ソによって占領され、1955年に国家主権を回復したオーストリアの事例である。この時、ソ連軍を撤兵させるためにオーストリアは永世中立国になることを宣言し、NATO加盟の道を事実上放棄した。
以上のほかにも、オハンロンの提案には、米欧側はロシア軍の撤退に応じて対ウクライナ軍事支援を削減したり対ロシア経済制裁を緩和したりすること、東部2州へは(ミンスク合意に基づいて)自治権を付与すること等も含まれている。もちろん、今となっては簡単に実現する話ではない。オハンロンが自分の論文タイトルに「Hail Mary」という言葉を使ったのもそのためだ。戦争によって突如英雄になったゼレンスキーも「NATO非加盟の約束」には抵抗するだろう。米露双方に高度な外交政治術(statecraft)が求められることは間違いない。[iii]
おわりに~キューバ危機の教訓
日本や米欧では、非道なロシアに対しては圧力をかけることが正義であり、圧力が大きければ大きいほど善だという声が強い。逆に、ロシアと妥協することは悪であり、裏切り行為と非難される。しかし、ロシアという軍事強国、しかも核保有国を相手にして、「圧力だけで屈服させる」といくら声高に叫んでも、それは自己満足でしかない。プーチンと妥協したからと言っても、ロシアの国力やロシアを取り巻く国際環境がすべてウクライナ侵攻前に戻るわけではない。今後、ロシアの凋落が加速することは避けられない。それよりも今、我々が最も警戒すべきは、圧力一辺倒でエスカレーションが進む結果、NATOとロシアが戦うことになったり、日本もロシアとの戦争に巻き込まれたりすることである。プーチンとの妥協は悪かもしれない。だが、妥協しないことが招く最悪よりもマシな選択と言える。
ここで我々はキューバ危機を思い起こすべきだ。[iv] 1962年、米国はソ連がキューバに核搭載可能ミサイル基地を建設中であることを知り、それを世界に公表した。ケネディ大統領はキューバを海上封鎖し、フルシチョフ第一書記も潜水艦を派遣するなど、米ソは核戦争の瀬戸際まで行く。最終的には、米国がキューバ侵攻を控えるのと引き換えにソ連は建設中のミサイル基地を撤去し、核戦争の危機は避けられた。いわゆるキューバ危機である。長い間、ケネディの「核戦争も辞せず」という毅然とした態度がフルシチョフを引き下がらせたとされ、ミュンヘン会談(1938年)でネヴィル・チェンバレン英首相がヒトラーに宥和姿勢を見せたことによって後に第二次世界大戦を招いたのと対照的な英雄譚として語り継がれてきた。だが今では、ケネディはフルシチョフに対し、米国がトルコに配備していた核ミサイル(ジュピター)の撤去を密約し、半年後に実行したことが明らかになっている。実際には、ケネディは圧力一辺倒ではなく、フルシチョフに譲歩(妥協)したからこそ、核戦争の危機は回避されたのであった。
昨年1月現在、ロシアは6,255発の核弾頭を保有し、1,625発は実戦配備状態にある。[v] 我々は、ウクライナの民主主義や自由のために核戦争のリスクを冒すべきではない。もちろん、ウクライナ国民が自らの政府を選ぶ自由は保証されるべきだし、ロシアを含めた外部からの脅威に対して安全が保障されることも必要不可欠である。だが、NATO加盟だけは認めるべきではない。ゼレンスキーはNATOに加盟する権利を執拗に主張するかもしれない。彼の主張を止める権利は我々にはない。だが、ゼレンスキーに国際社会を破壊する権利はない。我々がそれにつきあう義務もあろうはずがない。
米国では政治・社会の分断が進み、バイデン大統領を含め、米国の政治指導者は外交交渉において妥協姿勢(=国内的に〈弱み〉とみられる)を見せたがらなくなっている。日米同盟万歳で米国のリードに従っていれば、日本の国益が確保される時代は終わった。岸田総理は今こそ、バイデン大統領に対して「圧力+プーチンとの妥協」で臨むよう強く働きかけ、バイデンが譲歩しやすい環境づくりのために汗をかくべきだ。
追記:3月9日、本稿を書き終えたところで「ウクライナ与党、中立化に柔軟」というニュースが入ってきた。[vi] 現段階で飛びついたり歓迎したりするわけにはいかないが、注目しておきたい。
[i] How Does This End? – Carnegie Endowment for International Peace
[ii] A Hail Mary on Ukraine (brookings.edu)
[iii] ゼレンスキーがNATO加盟を要求し続けたとしても、米欧諸国がそれを認めないことが担保されれば、プーチンにとっては大きな前進となるであろう。
[iv] オハンロンも前掲論文等で何度もキューバ危機の教訓に触れている。
[v] Global nuclear arsenals grow as states continue to modernize–New SIPRI Yearbook out now | SIPRI