2022年2月8日
はじめに
先月17日、岸田文雄総理は自身初となる施政方針演説を行った。岸田は「自由、民主主義、人権、法の支配といった普遍的な価値や原則の重視」を外交安全保障政策の柱に据えると述べ、それらを共有する米国との同盟を一層強化すると強調した。これは安倍内閣以来の〈決まり文句〉を踏襲したものだ。第二次世界大戦前後から米ソ冷戦期にかけて、米国は押しも押されもせぬ「民主主義陣営のリーダー」であった。冷戦終結から30年以上たった今も、日本政府はそれを〈永遠に続く真実〉であるかのごとく受け入れているのであろう。
ところが肝心の米国ではドナルド・トランプが大統領になった頃から、アメリカ民主主義の先行きを憂える声がとみに高まっている。ジョー・バイデンが大統領になった時には、民主主義の〈復元力〉に期待をかける向きもあった。しかし、バイデン政権の無能と不人気が表面化してきた昨年後半あたりからは、リベラル系の人たちを中心に「2024年の大統領選挙はトランプに盗まれ、トランプが次期大統領になる可能性が高い」と警告する者が続出している。
「選挙を盗む」とは穏やかな表現ではないが、そんなことになれば、米国を民主主義国家と呼ぶことにさえ、抵抗が出てくる。もちろん、「民主主義のために日米同盟を強化する」などと能天気に言っている場合ではない。
AVP第35号では、現在米国で囁かれはじめた「2024年の大統領選挙はトランプに盗まれる」という見方について解説する。
米国大統領選の仕組み
最初に〈米国大統領選の仕組みと次回選挙の日程感〉を概観しておきたい。[1] ただし、ここでは2024年11月5日に全米各州で有権者による一般投票が行われてから、翌年1月6日に次期大統領が憲法上確定するまでの間に焦点を絞っている。
≪選挙人を選ぶ≫
次の米大統領選の一般投票は2024年11月5日に行われる。[2] この日に向けて民主党と共和党の大統領候補は各州に割り当てられた〈選挙人〉を獲りあうことになる。[3]
米国の大統領選では有権者が候補者を直接選ぶのではなく、各州ごとに政党等が予め指名した選挙人候補者の名簿に対して票を投じる。[4] より多くの票を得た選挙人候補者が当該州の大統領選挙人となる。選挙人は後に自党の大統領候補に投票するため、全米で538人いる選挙人の過半数(270人)を得た候補が次期大統領になる。これが基本的な仕組みだ。[5] 各州の選挙人数は〈下院議員数と上院議員数(各州2名)の合計〉と決められているほか、ワシントンDCに3人が割り当てられている。メイン州とネブラスカ州を除いては〈一票でも多く得票した候補が全取りする〉という勝者総取りルールが適用される。そのため、全米で獲得した投票総数で下回った候補が大統領になる事態も時には起こる。[6]
≪有権者登録≫
日本では、18歳になれば選挙人名簿に自動的に登録され、選挙の前に「投票案内はがき」が届く。だが米国では、18歳以上の国民が自ら「有権者登録」を行なってはじめて、選挙権を行使できる。自動車免許証等の交付を受ける際に有権者登録することも認められているが、登録の締め切り日や登録に必要な要件は州によって異なる。オンライン登録が認められている州も多い。[7]
≪州における開票と選挙人の確定≫
一般投票の開票は即日で行われ、順調なら、翌日未明までに選挙結果が判明して次期大統領が事実上決定する。ここで「順調なら」と言うのは、この時点で敗者が潔く敗北を認めれば、という意味である。
ブッシュとゴアが戦った2000年の大統領選では、両者の得票差が0.5%未満だったフロリダ州(選挙人数=25人)の結果が勝敗を決めることになり、一旦は敗北宣言したゴアもそれを取り消す。フロリダ州での再集計を求めるゴア陣営とそれに反対するブッシュ陣営の双方は訴訟合戦を展開した。最終的には12月12日に連邦最高裁が再集計を認めない判決を下し、ブッシュの勝利が決まった。翌13日にはゴアも敗北を認めた。
前回(2020年)の大統領選ではトランプ陣営が「多くの州で不正があった」と主張し、訴訟を濫発した。司法がそれを認めることはなかったが、トランプ自身は今日に至るまで敗北を認めていない。
一般投票が決着すれば、選挙人は2024年12月16日に州ごとに集会を開き、当該州の選挙人団として大統領と副大統領を別々に選出する。その結果は選挙人票認証書として封印され、カマラ・ハリス連邦上院議長(副大統領)に送られる。
≪連邦議会における最終決定≫
2025年1月6日午後1時、連邦議会で上下両院が合同会議が開催される。そこでハリス上院議長(副大統領)は全米各州から送られてきた選挙人票認証書を開封し、上下両院の指名した票集計係が集計した結果を発表する。ハリスはそれに従って勝者を宣言し、次期大統領及び副大統領の選出は名実ともに終わる――。以上が大団円のシナリオだ。
従来、連邦議会におけるこの最終的なプロセスは、憲法の規定をなぞるだけの〈形式的な儀式〉とみなされてきた。しかし、2021年1月6日・7日の連邦議会は、儀式どころではない〈大混乱〉の様相を呈する。上下両院合同会議におけるバイデンの勝利認定を止めさせようとしたトランプ支持者たちが暴徒化し、ワシントンの議事堂を襲撃した。警察官を含む5名が死亡、725人が逮捕された。
議事堂の中では、複数の共和党議員がアリゾナ州(選挙人数=11人)とペンシルベニア州(同20人)の選挙人票について異議を申し立てた。[8] 1月6日から7日にかけて採決が行われた結果、アリゾナ州については下院121名及び上院6名、ペンシルベニア州については下院138名及び上院7名の共和党議員が異議に賛成した。しかし、民主党議員全員と他の共和党議員は反対したため、異議申し立ては両院で否決された。そのうえで上下両院合同会議は選挙人票の集計を行い、マイク・ペンス上院議長(副大統領)は選挙人票306を獲得したバイデンが第46代大統領に選出されたと宣言した。こうしてようやく、大統領選挙は終わった。
以上、次期大統領選のおおよその日程感を紹介しながら、過去の「事件」も交えて米国大統領選挙の仕組みを解説した。ただし、2024年の大統領選にトランプが出馬した場合、実際の選挙プロセスがどのような展開になるかは読み切ることができない。なぜなら、「トランプだから」だ。
2024年大統領選とトランプ
昨年1月に大統領でなくなってからも、大方の予想に反してトランプは共和党に対する支配力を強めている。トランプが「出る」と言えば、2024年の大統領選における共和党候補はトランプで決まりだと誰もが認めているほどだ。
現時点でトランプ自身は2024年の大統領選挙に出馬すると明言していない。ただし、〈匂わせ発言〉なら何度もしているし、今年11月に行われる中間選挙や州政府幹部の共和党予備選挙でも自分を支持する候補を精力的に応援している。中間選挙の結果を見定めてからトランプは大統領選に立候補を表明する、という見方がもっぱらである。
次節以降ではいよいよ、トランプが2024年の大統領選に出て次期大統領になるための戦略を見ていこう。
一般投票で勝つ
トランプにとって、2024年11月5日の全米一般投票で民主党候補に勝利できれば、それが一番望ましい。選挙に勝つためなら、バイデン民主党を叩くことは当然であろう。今秋行われる中間選挙で共和党が少なくとも下院を制すれば、同党の議会指導部は来年以降、バイデン大統領の弾劾をめざすと言われている。[9] だが、民主党支持者や穏健派共和党の人々が最も懸念しているのは、トランプが〈民主主義のあり方として許されない〉戦略でも躊躇なく実行しようとしていることだ。
1. 米国民を洗脳する
選挙で勝つためには、投票日に自分へ投票してくれる人の〈数〉を増やさなければならない。だが、それと同じくらい重要なのが、自分の選挙のために動いてくれるコアな支持者の〈熱量〉を高めることである。
≪支持者との絆を深める≫
全米に何百万人もいると言われるトランプ支持者の中核は、大学を出ておらず収入の少ない白人労働者(中小企業主やホワイトカラーを含む)だと考えられている。[10] 彼らは「米国の政府と社会は(連邦という大きな政府に頼る)社会主義者、(黒人やヒスパニックなどの)人種的少数派グループ、(LGBTなどの)性的倒錯者によって乗っ取られてきた」ことが諸悪の根源だと信じ込んでいる。[11] それを嗤うことはたやすい。だが、この極端な思想の背景には、〈テクノロジーの発達やグローバリゼーションの進展によって職を奪われ、移民の流入によって自分たちの価値観や生活様式が破壊されている〉という巨大な不安と恐怖がある。彼らにとって、自分たちの不安と恐怖を取り除くために立ち上がり、行動してくれる政治家はトランプ以外にはいない。トランプの方も自分がそう思われていることを十分に理解している。
外交・歴史評論家のロバート・ケーガンは、トランプとトランプ支持者は米国政治史上、最も強い絆で結ばれていると言う。民主党や良識派と言われるメディアがトランプを攻撃すればするほど、支持者たちは〈迫害〉を受けている自らの姿をトランプに重ね、トランプとの絆をますます強める。この強い絆の故に、彼らは次の選挙でもトランプの選挙運動の強力な草の根部隊になる。トランプが選挙で敗北を認めず、「大規模な不正があった」と主張すれば、彼らは不正を正すために立ち上がり、必要なら暴力に訴えることも辞さない。
先月30日、トランプは「次期大統領選に出馬して勝利すれば、議会襲撃犯に恩赦を与える」と述べた。これには民主党支持者だけでなく、共和党穏健派からも批判が噴出している。だが、トランプ支持者の多くは議会襲撃を〈愛国の思いから選挙の不正を正そうとした行為〉と受け止めている。恩赦発言がトランプと支持者の絆を一段と強めたことは間違いない。
≪ソーシャルメディアによるフェイクニュースの拡散≫
トランプ陣営は、米国民の疎外感を煽り、連邦政府に対する不信の種をまくことがトランプへの支持を増やすことを熟知している。AVP第15号(2021年1月4日)でも述べたとおり、彼らはソーシャルメディアを駆使してフェイクニュースを拡散し、2016年大統領選挙で勝利をもぎ取った。[12] 我々の目に触れることがないだけで、トランプ陣営は今もインターネット空間で〈布教活動〉を続けているに違いない。[13]
今現在、トランプ自身はソーシャルメディアを利用した情報発信ができないでいる。[14] 2021年1月、連邦議会を襲撃した人々を「愛国者」と呼んだトランプの発信が暴力行為を招いた等の理由により、Twitter、Facebook、Instagram、YouTubeが相次いでトランプのアカウントを凍結したためだ。[15] トランプが 2024年の大統領選に再出馬して勝利を目指すのであれば、この状況は非常に痛い。トランプはTwitter等に対して訴訟を起こし、アカウントの凍結解除を求めているが、見通しはあまりよくなさそうだ。ただし、トランプが共和党の大統領候補として正式に立候補すれば、ソーシャルメディア各社もトランプに言論の機会を与えないわけにはいかなる、という見方も出ている。[16]
一方でトランプは、自分が持つメディア企業を使って「トゥルース・ソーシャル(TRUTH Social)」というTwitterのようなプラットフォームを立ち上げようとしている。資金調達が順調に行けば、今月21日にもサービスが開始される見込みである。この人物の辞書に「諦める」という言葉はないのだろう。
2. 民主党支持者に投票させない
あろうことか、トランプ陣営は選挙に勝つためであれば、民主党支持者の投票機会を奪っても構わないと考えている。昨年は12月7日までの間に19州で34本の〈投票アクセスを制限する条項を含んだ法律〉が成立した。[17]
≪身分証明証の提示義務≫
過去10年間、共和党が強い州の議会は「不正(なりすまし)投票を減らすため」という名目を掲げ、投票時や有権者登録の際に身分証明書(運転免許証やパスポートなど)の提示を義務付けるなど、身元確認を厳格化する法律を次々に成立させてきた。現在、35の州では投票所で何らかの身分証を提示する必要がある。[18] 免許証を持たない人の比率が相対的に高い黒人やヒスパニック、低所得者等には民主党支持者が多いことを考えると、体のいい〈民主党候補への投票妨害〉と言ってよい。
≪郵便投票の制限≫
米国では州単位で(専用の受付窓口や投票箱を使った)郵便投票が導入されている。コロナ感染の拡大も背中を押し、2020年11月の選挙では投票の43%が郵便投票だった。[19] しかし、トランプや共和党員の多くは「郵便投票で二重投票が増え、不正の温床になる」とアレルギー反応を示す。その裏にあるのは、投票のために休みをとりにくい低所得の人々が郵便投票を利用すれば、民主党に有利になるという懸念だ。[20] そのためか、共和党の強い州ほど郵便投票に関する規制が強い。テキサス州で郵便投票できるのは65歳以上の人か、障害がある場合のみ。[21] 2021年5月には、フロリダ州で郵便投票用の投函箱の設置場所や投票時間を制限する法律が成立した。[22]
≪嫌がらせのオンパレード≫
昨年3月、ジョージア州議会は投票所で並ぶ有権者に水や食料を渡すことを禁止する等の法改正を行った。投票までの待ち時間が長い都市部で民主党支持者の投票意欲を削ぐのが真の狙いだと言われる。[23] テキサス州では、選挙事務に携わる担当者への規制が強化された。その結果、障害者や英語を話せない人--民主党支持者が多い――は投票の際に支援を得られにくくなる一方で、共和党系の選挙監視員が民主党支持者による投票を妨害しやすくなると危惧されている。従来は一部地域で実施されていた24時間投票やドライブスルー投票も禁止された。
≪バイデン政権の抵抗と挫折≫
共和党側のこうした動きに対して、バイデン民主党も手をこまねいているわけではない。全米規模で郵便投票の拡大を促進し、投票日を祝日化する等の「投票の自由法案」と、州が有権者の投票行動に関して新基準を設ける場合は司法省(=バイデン政権)またはコロンビア特別区地方裁判所(=民主党系)の事前承認を義務付ける「ジョン・ルイス投票権促進法案」を連邦議会で成立させようとしてきた。州レベルで進む投票制限を連邦レベルで骨抜きにしようという狙いだ。しかし、上記の法案は今年1月13日に下院で可決された後、同月19日に上院で否決されてしまった。[24]
一般投票で負けても選挙人を得る
トランプは前回、一般投票で獲得した選挙人が232人にとどまり、バイデンに敗れた。そこで「次こそは、一般選挙で負けても大統領になってやろう」と考え、具体的な行動に出るのがトランプである。
1. 州レベルで一般投票結果を覆す
アメリカ〈合州国〉では、大統領選の開票・集計作業は州当局の責任と権限の下で行われる。前回選挙の際にトランプは「一般投票で不正があった」と主張し、州当局がバイデンの得票の一部を無効にするよう求めた〈前科〉を持つ。[25] ここでは、総投票数のうちバイデンが49.5%、トランプが49.3%を獲得したジョージア州で実際に起きた出来事を振り返る。
≪ジョージア州の教訓≫
トランプはジョージア州で選挙実務の総責任者を務めるブラッド・ラフェンスパーガー州務長官(共和党)に直接電話をかけ、「(自分がバイデンを逆転するために必要な)1万1780票を見つけたい」と述べた。トランプが自分の得票を増やせと圧力をかけたことは言うまでもない。[26] トランプや共和党議員は同州のブライアン・ケンプ知事(共和党)に対しても、一般投票の結果を覆すために州議会を特別招集するよう求めた。トランプの要求が通っていれば、一般選挙の結果は覆り、ジョージア州の選挙人票16はバイデンからトランプへ移っていた。他州でも同様の動きが続けば、トランプはバイデンに大逆転勝利することができたかもしれない。しかし、ラフェンスパーガーやケンプは共和党員であるにもかかわらず、トランプの要求を蹴った。トランプの逆転劇は起こらなかった。このことからトランプは、「接戦が見込まれる州の州務長官には、単に共和党員というだけでなく、自分に忠誠を尽くす人物を据えておくべきだ」という教訓を得たと思われる。
≪自分の意のままになる州務長官を据える≫
米国では、州政府ナンバー・スリーで選挙実務を所掌する州務長官のポストを地元民の公選で選ぶ。任期は4年。ジョージア州では2020年にトランプの要請を断ったラフェンスパーガーが今年11月の再選をめざしている。彼はまず、今年5月24日に行われる共和党の予備選挙で勝って共和党の州務長官候補にならなければならない。ところが昨年3月、現職の連邦下院議員(ジョージア州選出)であり、トランプに忠誠を誓うジョディ・ハイスが共和党の予備選に名乗りをあげた。トランプの支持を得たハイスは今や共和党の予備選で先頭を走っていると言われる。[27]
今年11月に州務長官が改選を迎える州は全米で27ある。2020年の大統領選でバイデンが勝利したことを否定するかまたは疑問視している共和党の候補者は13州で15人にのぼる。[28] トランプはその中で、ジョージア州、アリゾナ州(選挙人=16、2020年の得票差=バイデン+0.6%)、ミシガン州(15人、バイデン+2.7%)の共和党州務長官候補3人を支持し、応援している。[29] 彼らが共和党の予備選と11月の本選挙を勝ち抜けば、トランプは2024年の大統領選で一般投票の結果に堂々と手を加える術を手に入れることができる。
≪州議会による選挙介入を合法的に強化する≫
それだけではない。トランプ陣営は、共和党が強い州で州議会が選挙に関与できる範囲と権限を拡大すべく、法制度の見直しを進めさせている。2021年4月6日までに全米36州で少なくとも148本の〈選挙の監督に関する州議会の権限を拡大するための法案〉が提出された。[30] アリゾナ州では、州務長官が行う大統領選挙人投票認証を州議会が単純過半数で取り消すことができるという法案が提出されている。もしも成立すれば、アリゾナ州では一般投票でトランプが敗れても、共和党の強い州議会が「一般投票に不正があった」と言い立てて選挙結果をひっくり返す道が開ける。
知事は民主党だが議会は共和党が押さえている州では、選挙実務担当者の人事権や選挙に関する細かい規則を決める権限を州政府から州議会に移管すれば、選挙の際に共和党寄りの干渉を行いやすくなる。ノース・カロライナ州(2016年)やウィスコンシン州(2018年)ではそのための法律が既に成立している。ジョージア州では、州の選挙管理委員会トップを共和党が支配する州議会の指名する者に替え、そのうえで有権者資格の判定や投票時間の設定に権限を持つ地方選管の人事権を州の選管に与えることになった。[31]
2. 連邦議会で一般投票結果を覆す
2021年1月にそうだったように、州レベルでの工作が奏功しなかった場合でもトランプは大統領の座を諦めないかもしれない。その場合、大逆転を狙う最後の舞台は連邦議会となる。
《州が選んだ選挙人を無効にする》
本稿の冒頭で述べたとおり、2025年1月6日に連邦議会で上下両院合同会議を開かれ、上院議長(副大統領)の下で全米各州から送られてきた選挙人票が集計され、大統領選の勝者が確定する。トランプに付け入る隙があるとすれば、連邦議会上下両院合同会議で州選挙人投票結果に異議を申し立てられる、という仕組みの部分であろう。
2021年1月6日における米議会の勢力図は、下院が「民主党222議席 対 共和党211議席」、上院は「民主党50議席(+上院議長1) 対 共和党50議席」であった。アリゾナ州とペンシルベニア州の選挙人票に対する異議が通る可能性は、共和党議員が一致団結して賛成に回っていたとしても、ゼロだった。
2025年1月6日における民主党と共和党の議席数は、2024年11月5日の大統領選挙と同時に行われる連邦議会選挙(上院の改選議席数は33)の結果を反映したものとなる。2024年11月の選挙で共和党が上下両院で過半数を獲得し、かつ、共和党議員のほとんど全部が接戦州の選挙人票に対する異議申し立てに賛同すれば、上院と下院の双方で異議が認められ、当該州の選挙人票は集計から除外される。[32]
《連邦下院で大統領を選出する》
上記の結果、トランプと民主党候補の獲得する選挙人数が同数になるか、いずれも過半数(270票)に届かない状況となれば、憲法の定めによって下院が大統領を選出する。この場合の投票は議員各人が1票を投ずるのではなく、各州の議員団単位で1票を投票する。数えてみたら、現時点では下院で共和党が多数派の州は28、民主党が多数派の州は19である(3州は共和・民主が同数)。この勢いが変わらなければ、共和党による過半数(26票以上)獲得の可能性が高い。つまり、トランプが選ばれるということだ。
2024年の選挙で共和党が上下両院を制したうえで、穏健派も含めた共和党議員全員が揃って接戦州の選挙人票に対する異議を認めるような事態は、そう簡単には起こらないと思いたい。だが、現在の米国を見ていると、そんなことは絶対に起きないと断定する自信はとても持てない。
2024年大統領選の先に見える光景
トランプ陣営が準備しようとしている「勝利の方程式」と「逆転のシナリオ」は、民主主義国家として反則スレスレか、完全にアウトと言うべき行為である。その成否にかかわらず、次回の大統領選挙で米国はカオス(混沌)に陥る可能性が非常に高い。
《大混乱と暴力》
発足から一年以上経った今、バイデン政権に米国の分断を癒すだけの力量はないことがはっきりしてきた。一方で、トランプと彼の支持者との絆は今後ますます深まり、民主党やエスタブリッシュメントに対する憎悪も増幅されそうだ。トランプが次期大統領選に立候補して一般投票で敗れ、それを覆せなかった場合には、トランプと彼の支持者の行動が前回以上に過激化することは容易に想像できる。
では、トランプが次期大統領に決まれば、カオスは回避されるのか? それもないだろう。民主党候補が一般投票で負ければ、民主党支持者の多くは「共和党による様々な選挙妨害のせいだ」と考えるに違いない。本稿で見たような手法で一般投票の結果が覆されたりでもすれば、民主党がそれを〈クーデターの一種〉とみなし、徹底抗戦しても不思議ではない。それでなくても、民主党内には「トランプがもう一度大統領になれば、米国の民主主義は完全に破壊される」という危機感が充満している。民主党の大統領候補は敗北を認めないだろうし、ハリス上院議長(副大統領)も一般投票を覆して州議会が指名した選挙人票認証書を受理しない可能性がある。法廷闘争に持ち込まれた結果、保守派が多数を占める最高裁が共和党(トランプ)に有利な判決を下したとしても、果たして民主党は黙って従うだろうか?
大統領選の最終局面では、民主党支持者と共和党のトランプ支持者の双方が全米でデモを仕掛けることになるだろう。両者が衝突したり、デモが暴徒化したりすれば、大勢の犠牲者が出る。戒厳令が敷かれ、州兵を動員する事態も十分にあり得る。そうなれば、ほとんど内戦である。
《進む分断、低下する統治能力》
何らかの形で妥協が成立して新大統領が就任したとしても、大統領を出せなかった党派の不満と不信が収まることはない。現在でも共和党支持者の大部分はバイデンを正当に選ばれた大統領と認めていない。次の大統領も米国民の半分から「正当性を欠いた大統領」とみなされるだろう。米国社会の分断と不安定化はますます促進される。
ヴァージニア大学政治センターが昨年9月に発表した調査によれば、バイデン支持者の41%、トランプ支持者の52%が「民主党支持か共和党支持かで各州が連邦から離脱し、別の国を作った方がよい」と考えている。[33] 今はまだ、「分離・独立」はアイデアの段階にとどまっている。だが、これからは具体的な政治運動に発展していくだろうと私は予想する。
共和党政権であれ、民主党政権であれ、米国政府は2025年以降もエネルギーの大部分を国内問題に取られ続けよう。その結果、外交政策や国際秩序に対する責任は今以上に顧みられなくなる。世界の不安定化が助長され、ロシアや中国などの権威主義陣営は「それ見たことか!」「チャンス到来!」とばかりに欣喜雀躍することだろう。
おわりに
本稿ではトランプが次期大統領選に臨む戦略を俯瞰した。
私の率直な感想は、「こんなことが許される米国は、民主主義なのか?」というものだ。アメリカの民主主義は「合法的な権威主義」の領域に足を踏み入れつつある、とさえ思えてきた。
次に浮かんできたのは、「米国がこんな有り様なのに日本外交は日米同盟一直線でいいのか?」という疑問だ。今日まで日本は、「民主主義や法の支配などの価値観を同じくする米国と一緒に行動した方がよい」という建前と、「中国が恐いから米国を頼るしかない」という本音に基づいて、対米依存外交を正当化してきた。しかし、日本の指導者が「日米は民主主義や法の支配といった基本的価値を共有している」と力んでみたところで、失笑されるだけという時代がすぐそこまで来ている。何よりも、国内問題に手足をとられるばかりの米国は、外交安全保障上のパートナーとしていよいよ当てにならなくなる。日本が自主外交に軸足を移していくべきことは自明であろう。
[1] 本節の解説の制度的な部分はトーマス・ニールの『選挙人団制度—現代の大統領選挙における選挙人団制度の役割』を参照した。RL32780 (americancenterjapan.com)
[2] 期日前投票や郵便投票もあるため、全員が11月5日に投票する、というわけではない。
[3] 大統領選挙の本選には民主党と共和党からの候補者以外も立候補できる。大富豪のロス・ペローは1992年と1996年の大統領選に出馬し、一般投票でそれぞれ18.87%、8.5%の得票を獲得した。ただし、ペローが獲得した選挙人はゼロだった。
[4] 投票用紙は州ごとに違うが、大統領候補と副大統領候補の氏名及び所属政党が記され、その横に「のための選挙人」と付け加えられているところが多い。
[5] 選挙人候補者は当選後に指名された政党等の候補へ投票することが期待され、多くの場合はその旨を誓約している。
[6] 2000年にアル・ゴアを破ったジョージ・W・ブッシュ、2016年にヒラリー・クリントンに勝利したトランプの時がそうだった。
[7] CNN.co.jp : 米国の選挙で必要な「有権者登録」とは? 制度や手続きを知る
[8] 合衆国法典の定めによれば、上院議員及び下院議員各1名以上の署名を付した書面があれば、各州からあがってきた選挙人票について異議を申し立てることができ、上下両院はそれぞれに当該異議の是非を票決する決まりとなっている。2021年に下院共和党議員の一部は、ジョージア、ミシガン、ネヴァダ、ウィスコンシン州についても異議を唱えた。しかし、上院議員の署名が得られなかったため、有効な異議申し立てとはならなかった。
[9] 大統領等の弾劾手続きとしては、下院の単純過半数があれば訴追できる。弾劾が成立するためには上院の3分の2が必要だが、弾劾訴追だけでもバイデン民主党にとっては大きなダメージとなる。共和党にとって弾劾のテーマは何でも構わない。弾劾訴追できなかったとしても、バイデン政権のエネルギーと時間を奪うだけでも十分に意味があるのだ。
[11] トランプと支持者の絆については、Opinion | Our constitutional crisis is already here – The Washington Post を参照した。なお、「性的倒錯者」はsexual deviantsの直訳。また、括弧内の補足説明は、トランプ支持者を含めて米国でそのように認識する人がいることを受けたものである。
[12] » ネット・フェイク病の蔓延と民主主義の危機~民主主義考2020s①|一般財団法人 東アジア共同体研究所 (eaci.or.jp)
[13] 例えばネット空間では、バイデン大統領が「私はあなたがたの大統領ではない。ドナルド・トランプが今もあなた方の大統領だ」と述べている動画が出回っている。フェイク動画であることはもちろんだ。 Misleading posts misrepresent Joe Biden joke as admission that Donald Trump ‘still US president’ | Fact Check (afp.com)
[14] 2021年1月初旬の時点でトランプ(個人分のみ)のフォロワー・登録者数は、Twitterの8,870万人を筆頭に、Facebookの3,540万人、Instagramの2,460万人など、1億5千万人を超えていた。トランプ氏のSNS発信力、どれだけ縮んだか – WSJ
[15] Twitterはトランプのアカウントを永久凍結した。FacebookとInstagramによる凍結は2023年1月までだが、その後も延長される可能性は残されている。
[16] A year on, has Trump benefited from a Twitter ban? – BBC News
[17] 民主党の州知事が拒否権を行使するケースもあるため、34本すべてが施行されるわけではない。ただし、今年11月の知事選結果次第では、来年以降に投票制限法が再び議会を通過し、知事が拒否権を行使せずに施行されることもあり得る。
[18] 【米大統領選2020】 なぜアメリカで投票するのは時に大変なのか – BBCニュース
[19] Voting and Registration in the Election of November 2020 (census.gov)
[20] 郵便投票によって(選挙結果を変えるほど)民主党が有利になったという研究はない模様である。郵便投票の普及によって共和党を支持する傾向の強い高齢者の投票率も上がるという指摘もある。
[21] 民主党はコロナ感染が理由であれば全有権者に認めるべきだと訴訟を起こした。しかし、(保守派が多数を占める)連邦最高裁は2020年6月に民主党側の訴えを却下した。米最高裁、郵便投票の対象拡大認めず テキサス州で: 日本経済新聞 (nikkei.com)
[22] 最近の州単位の投票権制限の動きについては、以下を参考にした。Voting Laws Roundup: December 2021 | Brennan Center for Justice;投票権制限効果を持つ州法が相次いで成立(米国) | 地域・分析レポート – 海外ビジネス情報 – ジェトロ (jetro.go.jp);米投票制限法案めぐり激戦州で攻防 テキサスなど: 日本経済新聞 (nikkei.com)
[23] 米国の都市部では投票の順番待ちに時間がかかることが多い、という実態を知らないとこの規制の意味はわからない。前掲、BBCニュース参照。
[24] 民主党側は本法案に関してフィリバスター(=延々と討論を続けて採決させない手法)を禁止する動議を通そうとしたが、民主党内から造反者が出て果たせなかった。民主党執行部は今後、より穏健な内容の法案を成立させるべく党内調整及び共和党との協議を行う意向と言われている。
[25] ここで言う不正とは、例えば、投票箱の廃棄、二重投票、死者による投票などである。ただし、その大半は事実でないことが判明している。
[26] 【米大統領選2020】 米ジョージア州高官、トランプ氏の勝利主張は「まったく間違っている」 – BBCニュース
[27] Special Report: Backers of Trump’s false fraud claims seek to control next elections | Reuters
[28] ネヴァダ州の州務長官に共和党から立候補しているジム・マーチャントはQアノンに関わっていると言われる人物である。Trump loyalists form alliance in bid to take over election process in key states | US politics | The Guardian
[29] Here’s where election-denying candidates are running to control voting : NPR
[30] 以下、州議会が大統領選挙に介入する余地を拡大するための手法については、FINAL Democracy Crisis Report April 21 (statesuniteddemocracy.org) を参照した。
[31] このほかにも、選挙事務に関わる外部の寄付を禁止したり、選挙管理事務を行う職員――地域コミュニティのボランティアも多い――の規則違反に厳罰をかけたりする法案が各州で提案されている。選挙事務にかける予算を間接的に減らせば、投票所の数を減らす等の影響が出る。罰則を嫌って職員のボランティアが減れば、投票所における有権者へのサポートは低下する。民主党支持者の方により大きなマイナスとなる措置と言える。Trump loyalists form alliance in bid to take over election process in key states | US politics | The Guardian
[32] 上院のみ、または下院のみが異議を認めても、当該州の選挙人票は無効にならない。