2021年10月27日
はじめに
今、日本は衆議院選挙の真っ只中にある。しかし、今回のAVP で取り上げるのは米国の選挙制度、具体的には連邦下院議員選挙の「区割り」についてだ。
今年1月6日、前年11月の大統領選挙で不正が行われたと主張するトランプ支持者たちが連邦議会を襲撃した。この前代未聞の事件が象徴するように、米国では共和党支持者のみならず民主党支持者の間でも選挙制度全般に対する不信感が昂じている。関心を呼んでいる争点の一つが、連邦下院の選挙区について特定党派に有利な区割りを行う〈党派的ゲリマンダリング〉である。今年は10年に1度の国勢調査を反映した区割りの見直しが行われることもあり、日本でもちらほら話題になっているようだ。二番煎じになってしまうかもしれないが、「21世紀の民主主義考」を継続的にフォローしているAVPでこの話題を無視するわけにはいかない。[1] 本稿では米国のゲリマンダリングの現状を読者にお伝えする。
ゲリマンダリングとは?
最初にゲリマンダリングについてざっと説明しておこう。
≪由来≫
遡ること1812年、エルブリッジ・ゲリーという米マサチューセッツ州知事(後の米副大統領)が自分の党派に有利となるように選挙区を改変した。その区割りはサラマンダーと言う想像上の怪物に例えられ、「ゲリマンダー」と呼ばれた。下図で怪物の絵に当たる部分が改変された選挙区である。
(Elkanah Tisdale (1771-1835) (often falsely attributed to Gilbert Stuart)[1], Public domain, via Wikimedia Commons https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/63/The_Gerry-Mander.png)
この史実をもとにして、〈区割りを恣意的に操作すること〉は英語でゲリマンダー(gerrymander)と言われるようになった。ゲリマンダリングはその動名詞である。以上については、日本の高校の教科書にも載っており、選択科目にもよるが習った記憶のある人も少なくないだろう。私もその一人だ。しかし、私はつい最近まで「様々な紆余曲折を乗り越えて民主主義は発展してきました」という民主主義成功物語の1頁、つまり「過去のもの」としてゲリマンダーを理解していた。それは大間違いだった。ゲリマンダリングは米国政治制度の中に存在し続けてきた。それどころか、今日ではむしろ力を増しているというのが真実に近い。
≪効果≫
ゲリマンダリングによって当選者数が大きく変わる、と言われてもピンとこない人もいるだろう。スティーブ・ナスが作った下の3枚の絵を借りて、ゲリマンダリングが持つ潜在的破壊力の大きさを説明しておこう。
議論を単純化するため、人口の6割が青党支持者、4割が赤党支持者のある州(定数=5)で、それぞれの支持者が左の絵のようなに綺麗に分かれて居住していると仮定しよう。真ん中の絵のように区割りすればどうなるか? 各選挙区で青党が勝ち、全議席(5議席)を獲得する。では、右の絵のような区割りにしたらどうか? 青党は右側の2つのコの字形の選挙区では圧勝するが、残りの3つの選挙区では赤党が議席を獲得する。
(Steve Nass, CC BY-SA 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0>, via Wikimedia Commons https://commons.wikimedia.org/wiki/File:How_to_Steal_an_Election_-_Gerrymandering.svg)
支持者の人口比を忠実に反映すれば、青党と赤党の議席配分は3対2になるべきである。ところが何と、区割りの違いによって獲得議席は5対0から2対3まで変わってしまう。しかも、この変化は青党や赤党がどんな政策や主張を述べようが、自党の支持者をつなぎとめることさえできれば、区割りのみによって達成できるのである。
もちろん、上記の説明は概念的かつ極端な例だ。しかし、現実の世界ならもっと〈まとも〉だとは言い切れない。下図は2013年~2017年のノースカロライナ州第12選挙区(左図の濃い緑の部分)である。右図で同州の他の選挙区と比べてみると、第12選挙区の区割りの不自然さ、グロテスクさは一目瞭然だろう。
(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:North_Carolina_US_Congressional_District_12_(since_2013).tif)
区割りが獲得議席数に与える影響は我々が想像するよりもずっと大きい。2012年に行われた下院議員選挙において、18議席を割り当てられていたペンシルバニア州では有権者の51%が民主党候補に投票した。だが、実際にペンシルベニア州から選出された民主党議員は5名に過ぎなかった。[2] こうした事態が起きているのはペンシルベニア州に限った話ではない。
今、米国で何が起こっているのか?
上院議員は州毎に2名選ばれるため、ゲリマンダリングが連邦レベルで問題になるのは下院ということになる。米国の連邦下院選は2年毎に行われ、基本的には単純小選挙区制が採用されている。下院議員の総定数は435名。435の選挙区は10年毎に行われる国勢調査の結果に基づき、人口比例で各州に配分される。[3] ここまでは我々にも理解しやすい。だが、各州に割り当てられた選挙区の区割り方法は、日本のやり方とは大きく異なる。
≪誰が区割りを行うのか?――日米の違い≫
日本の衆議院が小選挙区比例代表並立制を採用していることは周知のとおり。日本でも、定数削減や1票の格差是正等に対応するため、選挙区の増減及び区割りの変更が行われている。基本的な手続きの流れは、10年毎に行われる大規模国勢調査の結果に基づいて衆議院議員選挙区画定審議会(=有識者7名から成る)が見直し案を総理大臣に勧告し、国会で公職選挙法が改正されるというもの。見直し案の元になるのは、1994年の公職選挙法改正の際に決められた区割りである。ゲリマンダリングの可能性がゼロであるとは言わないものの、政府与党側が好き勝手に操作することはむずかしい。
一方、米国では、連邦下院の選挙区の区割りを州政府が決める。United States(合州国)の名前は伊達ではない。多くの場合、州議会が新しい区割り案を可決する。可決に必要な議席数は過半数だったり、3分の2以上だったりと州によって異なる。州知事に拒否権が与えられているケースもある。なお、州政府ではなく、独立委員会(アリゾナ州、カリフォルニア州、ユタ州など)や無党派の議会スタッフ(アイオワ州)が区割りを行う州もないことはない。ただし、少数にとどまるのが現実だ。[4]
≪区割りの政治利用~禁じ手解禁≫
州議会に区割りの権限があっても、特定の党派を利するための恣意的な区割りが行われなければ、問題はない。だが、黒人やヒスパニック等の人口比率が一定割合を越えるようになってくると、長期的かつ構造的な党勢の退潮に危機感を覚えた共和党が自分たちに有利となる区割りを無遠慮に進めるようになった。例えば、民主党を支持する傾向の強い黒人やヒスパニックの人口が増えた選挙区Aがあった場合、共和党を支持する白人居住者の多い選挙区Bの一部を選挙区Aに編入したり、選挙区Aの中で黒人・ヒスパニックが増えた地域を民主党が強い別の選挙区Cに編入したりするのだ。
区割り権限を握ることの重要性にいち早く気づいたのがティーパーティや福音派系宗教グループである。彼らは2000年代から州議会選など地方レベルの選挙に注力した。最近ではトランプ主義者たちもこの動きに加わっている。こうした共和党側の動きに対抗し、民主党側にも地方選挙に特化した活動を行うリベラル市民団体等が出てきている模様だ。[5] 念のために言い添えておくと、共和党だけがゲリマンダリングを行っているわけではない。後に紹介する最高裁判決が取り扱ったケースを見ると、ノースカロライナ州では共和党に、メリーランド州では民主党に有利な区割りがそれぞれ行われている。ゲリマンダーという名の由来となったゲリーが所属していたのも現在の民主党の前身政党だった。
米国の選挙を見るとき、我々の関心は大統領選挙や上下両院ばかりに向きがちだ。しかし、地方レベルの選挙にも注目しておかないと大きな読み間違いをすることになる。昨年11月の大統領選と同時期に行われた地方選挙の結果、共和党は下院の188議席分の区割りを主導できるようになった。一方で、民主党が区割りを主導できるのは47議席分に過ぎない。[6] 2022年に行われる中間選挙では、共和党に有利な区割りが相対的に増加し、全体としては共和党有利・民主党不利に作用すると言われている。
≪連邦下院議員の急進化≫
党派的ゲリマンダリングは、単に〈民主党対共和党〉の文脈で共和党を利しているだけではない。民主・共和両党の中で中道派の立場を弱め、急進派の勢力拡大を招くことになった。先に述べたとおり、州議会で勢力を拡大してゲリマンダリングの権限を握る戦略を熱心に推進してきたのは共和・民主党内の急進派である。彼らが送り出す下院議員が急進派に支持される言動をとるのは必然と言ってもよい。ウォールストリートジャーナルのジェラルド・シーブは、現在の米国の政治状況の一断面について次のように述べている。[7]
米国民は赤(共和党)と青(民主党)の「飛び地」へとそれぞれ分かれ、文化的、イデオロギー的に考えの近い人と暮らす傾向が強まっている。こうした中、州議会はこれまで以上に似た思考を持つ有権者がイデオロギー的に左派寄り、もしくは右派寄りの選挙区へと集まるよう正確に区割りしている――そして、下院選に出馬する候補者が党の基盤層に訴えるだけで当選確実な環境を作り出している。その結果、下院ではライバルの政党だけでなく、党内の穏健派や無所属系にさえ話す必要のない議員が増殖する。(中略)その裏で、選挙によって支持政党が揺れる「スイング選挙区」出身の下院議員の数は両党ともに減少する。彼らは幅広い有権者層に訴求する必要のある議員らだ。
こうした政治的土壌が維持される限り、トランプ本人でなくてもトランプ的な共和党大統領が将来誕生する可能性は十分にある。また、民主党の大統領であれば中道路線を行く、とも言えなくなるだろう。
≪処方箋はあるのか?≫
党派的ゲリマンダリングの横行は米国内でも問題になっている。現に、ゲリマンダリングの行われた州の有権者たちは当該区割りが憲法違反だと訴訟を起こしており、連邦地裁が党派的ゲリマンダリングの違憲性を認めたこともあった。ところが、2019年6月27日に下された最高裁判決は「党派的ゲリマンダリングは司法判断に適さない政治的問題である」として原告の主張を退けた。最高裁判事のうち、保守派の5名がこの判決を支持し、リベラル派の4名が反対意見を出した。[8] 昨年リベラル派のギンズバーグ判事が亡くなり、トランプが保守派を後任に指名したため、現在の米最高裁は保守派6名対リベラル派3名となっている。バイデン政権が〈最高裁判事を増員したうえでリベラル派を指名する〉といった強硬手段にでも出ない限り、党派的ゲリマンダリングに司法が介入することは期待できない。
司法が駄目なら、立法府はどうか? 今年3月、民主党は下院で〈区割りを州の独立委員会に担わせる〉条項を含む「選挙改革法案」を可決した。[9] 上院は現在、50議席対50議席で民主党と共和党が拮抗している。採決になれば、上院議長を兼ねる副大統領(カマラ・ハリス)が決済票を投じて民主党案を通すことができる。だが、それは〈採決になれば〉の話。上院には60票の賛成票がないと議事を打ち切って採決できないというルールがあり、共和党はこの選挙改革法案の採決を阻止し続けている。[10] 両党で話し合うと言っても、共和党にとっては文字通り死命を制される法案であるため、妥協が成立する可能性はゼロに等しい。
ゲリマンダリングが規制され、米国政治がまともになる日はくるのだろうか? 率直に言うと、私は絶望している。
おわりに
日本の地方議会は自民党が圧倒的に支配している。その勢力たるや共和党が州レベルで持つ勢力とは比較にならないほど強力である。日本でも米国のように衆議院の区割りを地方議会で決めるようになれば、未来永劫自民党政権が続くことになるだろう。そんなことになれば、もはや、選挙の意味などない。「日本は民主主義だ」と言うこと自体、首をかしげざるをえなくなる。日本の区割り画定手続きが米国の制度を真似なかったことは、僥倖としか言いようがない。しかし、日本の同盟国であり、国際政治に甚大な影響力を持つ米国がまさにそうした危惧すべき事態に向かってまっしぐらに進んでいることは空恐ろしい。
近年、日本の総理は「自由、民主主義、人権、法の支配といった普遍的価値を守り抜く」と力説し、日本が米国率いる民主主義陣営の一員であることを錦の御旗としてきた。[11] だが、区割り一つをとってみても、米国の民主主義が少なからぬ問題を抱えていることは明らかだし、日本の民主主義にも問題は山積している。民主主義の現実を見つめる努力を怠ったまま、訳も分からず民主主義を普遍的価値と持ち上げる日本の指導者や官僚の底の浅さには辟易する。
[1] 例えば、次の記事をご参照いただきたい。 https://www.eaci.or.jp/archives/avp/231 https://www.eaci.or.jp/archives/avp/485
[2] This is the best explanation of gerrymandering you will ever see – The Washington Post
[3] 2020年の国勢調査の結果は今年4月に発表され、2022年の中間選挙から適用される。人口が増加しているテキサス州、フロリダ州など5州で各1議席増、逆にカリフォルニア州やニューヨーク州などで各1議席減となる見込み。前者には共和党が優勢な州が多く、後者では逆であるため、今回の配分見直しの結果は総体的に共和党を利すると言われている。
[4] 独立委員会方の性格(超党派か無党派かなど)にもよるが、州議会が主導しない形で区割りを行う州は18にとどまる。(数え方によって数は変動する模様である。なお、独立委員会方式を採用している州においても、委員への脅迫など様々な問題が起きていることを付言しておく。The Tumultuous Life of an Independent Redistricting Commissioner | The Pew Charitable Trusts (pewtrusts.org)
[5] 米国政治のこうした動向については、アメリカン大学講師の芦澤久仁子さんに教えて頂いた。
[6] Republicans Won Almost Every Election Where Redistricting Was At Stake | FiveThirtyEight
[7] 米政治二極化の果て 民主党内紛もその産物 – WSJ
[8] 党派的選挙区割り(ゲリマンダリング)をめぐる最高裁判所の新判決 | 研究活動 | 東京財団政策研究所 (tkfd.or.jp)
[9] 米下院、選挙改革法案を可決 上院通過は困難: 日本経済新聞 (nikkei.com)
[10] 選挙改革法案、米上院で共和が採決阻止: 日本経済新聞 (nikkei.com)
[11] その点、鳩山総理が2009年10月26日に行った所信表明演説は「韓国、中国、さらには東南アジアなどの近隣諸国との関係については、多様な価値観を相互に尊重しつつ、共通する点や協力できる点を積極的に見出していく」と述べており、独自の視点があった。