Alternative Viewpoint 第21号
2021年4月9日
米国は地上発射式長射程ミサイルを日本へ配備したいと考えている。先月の日米2+2でもその布石が打たれた感は否めない。来週は菅義偉総理が訪米して日米首脳会談に臨むが、日本側はこの問題について確たる方針を持っているのか? 正直言って、政府内で十分な議論を行っているのかについてさえ、不安が募る。
在日米軍へのミサイル配備に日本がいかに対応するかは、日米関係や日中関係はもちろん、米中関係や東アジア・西太平洋地域の安全保障環境にまで大きな影響を与える。「米国に言われたから」といつもの調子で対応するのはあまりにも無責任だ。
本号では、米国による地上発射式ミサイルの日本配備に関して日本政府が採りうる4つの選択肢を提示し、それぞれの意味合いについて吟味する。一つ断っておくと、米国によるミサイル配備受け入れ問題は本来、我が国の防衛体制とセットで議論すべき事柄である。しかし、議論が複雑になって問題の本質が見えなくなってもまずい。今回は日本の外交的取組みを中心に議論することにしたい。
選択肢1. ミサイル配備に同意する
第一の選択肢は、日本政府が米軍の地上発射式長射程ミサイルの配備を明示的に受け入れることだ。受け入れ論には、同盟重視の観点から米国の要求を断れない、という消極的な議論と、増大する中国の脅威に対抗するためにはむしろ積極的に米軍のミサイル配備を受け入れ、米軍の戦略に乗る形で対中抑止力を高めるべきだという積極的な議論がある。[i]
≪ミサイル軍拡の加速≫
米軍が南西諸島を中心に地上発射式ミサイルを配備すれば、中国(及び北朝鮮)だけが近隣諸国を地上発射式ミサイルの射程に収めているという現状は変わるため、対中抑止力は改善するように思える。ただし、中国(及びロシア)も対抗措置を取るため、米中のミサイル能力が対等になることはおそらくない。結局、中国軍が優位を維持したまま、東アジア全体でミサイル軍拡が進むというのが最もあり得るシナリオ。この辺りのことはAVP 第18号に書いた。[ii]
≪日米関係は波立たず≫
この選択肢をとれば、米国の覚えはめでたい。ただし、米国が「日本への地上発射式ミサイル配備は対中抑止のためであり、日本のためだ」と言ってくることは疑いがない。あるいはバイデン政権は台湾を念頭に置いて民主主義を前面に出し、「日本が民主主義を守ると言っている以上、日本がミサイル配備を受け入れるのは当然だ」というロジックで来るかもしれない。日本外交の習性を考えると、日本政府は「ミサイルを配備してくれてありがとう」と米国に謝意を表明させられたり、「日本は民主主義国家として義務を果たした」と言わせられたりしても不思議ではない。米国に恩を売るどころではないだろう。
なお、相互確証破壊(MAD)という核抑止の論理が通常兵器レベルに適用できるかという考え方は必ずしも一般的ではない。兵力がおおよそ均衡していても、第一次世界大戦は起きた。仮に米中が軍事衝突した場合――最もあり得るシナリオは台湾有事のエスカレーションである――には、中国軍のミサイルが在日米軍基地(や自衛隊基地)を標的にすると考えるのは常識である。米国の論理に乗って安心するのは〈能天気〉の一語に尽きよう。
≪日中関係の緊張≫
一方で、中国の猛反発は避けられない。2016年7月、韓国政府は在韓米軍への終末段階高高度地域防衛ミサイル(THAAD)配備を認め、翌年4月と9月にはレーダーや発射台が設置された。これを受け、中国は事実上の経済制裁を発動する。米軍にTHAAD配備用の土地を提供した韓国ロッテ・グループの中国店舗はその9割が事実上の営業停止となり、韓国製食品の輸入も一部不許可とされた。韓国にとって最大の被害は観光だった。中国は韓国への団体旅行を禁止し、韓国を訪れた中国人観光客は、2016年の695万人から2017年には312万人へ激減し、2018年も370万人、2019年は489万人にとどまった。[iii] 2017年10月、事態の収拾に追われた韓国政府は、①韓国内にTHAADを追加配備しない、②米国のミサイル防衛網に加わらない、③日米韓三国の軍事同盟を構築しない、という三原則の表明に追い込まれた。
THAADはミサイル防衛を目的としているが、中国は東北(旧満州)地方等の中国軍の動向を把握されることや米国との戦略バランスが崩れることを嫌がった。これに対し、米軍の地上発射式長射程ミサイルは攻撃兵器である。常識的に考えれば、中国側の反発はTHAADの比ではないだろう。中国は様々な方法で日本に相当の圧力を加えてくると覚悟しておかねばならない。
2010年の尖閣漁船衝突事件の際、中国はレアアース輸出の事実上の禁輸、フジタ社員4名の拘束、対日観光の縮小等の措置をとった。近年、関係悪化が目立つ豪州に対しても、牛肉、大麦、石炭、ロブスター、ワイン、木材に対する公式・非公式の輸入制限措置の導入、在留豪州人の拘束等の手段で圧力がかけられている。[iv] 軍事的には、ミサイル配備の増強、サイバー攻撃、日本近海へのミサイル試射や演習実施を含めた示威行動、尖閣周辺での活動活発化くらいは十分にあり得よう。少し変わったところでは、辺真一氏は中国が歴史問題で日本に圧力をかける可能性を指摘しており、興味深い。[v]
トランプ政権の登場と共に米中対立が激化して以降、中国には〈日本をこれ以上米側に追いやりたくない〉という計算が働いていた。日本国民の大半はそう思っていないだろうが、中国はここ数年、日本に対して一定の配慮を示してきたというのが本当のところだ。日本政府が米国によるミサイル配備を認めた時、中国がそれを〈日本が一線を越え、米側についた〉サインと受け取れば、対日圧力もまた一線を越えて熾烈なものになる。その場合の対抗措置は上記に挙げたようなものでは済まないはずだ。
≪国内世論≫
最近の世論調査を見ると、米国に同調して対中圧力を強めるべきだという国民が増えている。[vi] 自民党の保守派の間では中国を名目にして戦前復古を進める動きが見られる一方、与野党を問わず一部国会議員の間では「民主主義や人権を守るために米国と共に中国に対抗すべき」という安手のポピュリズムも広がっている。こうした状況を考えると、米軍のミサイル配備に反対する世論は、沖縄を除き、当初思ったほど強くない可能性もある。ただし、この人たちの多くはミサイル配備を受け入れるという選択肢にかかるコストのことをあまり深く考えていない。その意味では、腰の定まった賛成には程遠い。
≪公明党ファクター≫
一昔前は「平和の党」と自他ともに認めていた――建前上は今もそう標榜しているらしい――公明党。しかし、与党の一角を長らく占めてきた結果、政府や自民党の外交防衛政策との間で共通項が拡大し、かつてのイメージはすっかり色あせた。今や、「平和路線」を本気で信じているのは創価学会婦人部くらいかもしれない。先に遠山清彦幹事長代理(元外務政務官)が不祥事で議員辞職した背景には、婦人部の不満が爆発したことがあったと言われる。婦人部の発言力拡大が今後も続くとすれば、公明党は米軍のミサイル配備をおいそれとは受け入れられまい。米軍のミサイル配備推進派は、米軍が配備するミサイルの数や性能(地上発射式か海空発射式かを含めて)に制約をつけたり、実戦使用する場合に日本政府の了承を義務付けたりする等の条件をつけたりすることによって、公明党の理解を得ようとするかもしれない。
≪指揮権の問題≫
AVP 第10号(2020年9月4日付)でも触れたが、米軍の長射程発射ミサイルの配備を受け入れるのであれば、指揮権の問題が出てきて当然である。[vii]
台湾をめぐる米中の軍事衝突がどのような形で起きるか、そして米中のどちらが先に手を出すかについては、様々なシナリオがあり得る。そのうえで言えば、米軍が南西諸島に配備した長射程ミサイルで中国軍を攻撃すれば、中国軍が在日米軍基地に反撃する可能性が非常に高い。それは日本の領土に対する攻撃となるため、日本は好むと好まざるとにかかわらず、中国と戦うことになる可能性が高い。米軍がミサイルを発射することの可否やタイミングについて、米国政府に白地小切手を渡してよいわけがない。
もちろん、日米両国政府は「岸・ハーター交換公文」を交わしている。そこでは、米軍が〈日本国から行なわれる戦闘作戦行動〉のための基地として日本国内の施設及び区域を使用する際には、日本政府と事前に協議することになっている。しかし、前号で述べたとおり、日本政府の側から事前協議を提起する気があるのかどうかははっきりしない。[viii] もっと言えば、平時から協議しておかない限り、ミサイル時代の事前協議は時間の関係からも事後通告とならざるを得ない。かつてブッシュ(ジュニア)政権は韓国政府(廬武鉉政権)に対し、「戦略的柔軟性を高めるため」という名目で、在韓米軍に配備した米軍機をアジア域内に出撃させることについての事前了承を要求した。米軍の要求は有事の起こり方等を勘案しない包括了承であったうえ、台湾有事にも適用される可能性があることを察知したため、韓国政府は拒否したと言われる。[ix] 今度は日本の番かもしれない。[x]
選択肢2. ミサイル配備を拒否する
中国との摩擦がいやなら、あるいは「平和主義」にこだわるなら、在日米軍への地上発射式長射程ミサイルを拒否するという選択肢が浮上する。米国が近い将来、日本への配備を検討しているのは通常兵器弾頭ミサイルであるため、AVP第20号で述べたとおり、「岸・ハーター交換公文に基づく事前協議」は適用されない。それとは関係なく、日本という国家の政治意思を表明する形で米国と交渉し、ノーと言わなければならない。[xi]
≪開けぬ展望≫
日本が米国にノーと言えば、中国は大喜びだ。しかし、中国から見返りがあるわけではない。例えば、中国海警が(日本漁船が尖閣領海に入っても)尖閣諸島の領海侵犯をやめるかと言えば、それは別問題であろう。
米軍の地上発射式ミサイルの日本配備がなくなっても、中国が長射程ミサイルの開発・配備をやめることもない。〈地域全体でミサイル軍拡競争が激化する〉懸念こそ多少和らぐものの、〈長射程ミサイルの分野で中国の優位性が一方的に拡大する〉ことによって東アジアの安全保障環境は結局、悪化する。
≪日米関係の緊張≫
日本がミサイル配備を拒否すれば、日米関係が緊張することは容易に想像できる。トランプ政権が続いていたら、怒りに任せて日本に対して関税引き上げの挙に出たかもしれない。バイデン政権はそこまで荒っぽくないだろうが、同盟国・日本の「不実」を責めることは間違いない。日本に求める防衛費増額の幅を引き上げる、尖閣防衛に関するコミットを弱める、米軍の撤退をちらつかせる、自衛隊に提供する中国軍の情報を減らすなど、有形無形の圧力をかけてこよう。
なお、日本政府の反対姿勢が強ければ、米国政府が地上発射式ミサイルを諦め、海空発射式の長射程ミサイル等の増強に集中するよう方針転換することも一つの妥協案として考えられなくはない。[xii]
≪自主防衛の要素≫
対米自立を主張して政権交代を果たした民主党はわずか3年3か月後に見る影もなく牙を抜かれ、下野した。以来、安倍晋三は「悪夢の民主党政権」という言葉を定期的に口にし、民主党の復活を牽制する一方で日米関係の緊張に対するトラウマを国民が忘れないようにしてきた。加えて近年は、日本国民の間で中国脅威論が燎原の火のごとく広まりつつある。私は、日本で言われている中国脅威論のすべてが事実に基づく冷静な議論だとは思わない。だが、中国の言動に自ら火に油を注ぐようなところがあることも事実だ。
こうした状況下にあって、「米国による地上発射式長距離ミサイルは拒否し、後は中国の善意に期待する」という平和主義的な議論に国民の多くはついてこない、と言うのが私の率直な見方である。まったくの個人的な意見だが、米国のミサイル配備を拒否するのであれば、「台湾有事で中国に深刻な脅威を与えるほどではないまでも、尖閣諸島を奪取されたときに上陸した敵部隊を壊滅できるくらいのミサイル攻撃能力は自前で整備する」といった専守防衛強化策は最低でも打ち出す必要があるだろう。どんな政府であれ、国民の支持を得られないで米国と喧嘩ができるとは思わない。
選択肢3. 関知しないフリをする(実質的容認)
米国による地上発射式長射程ミサイル配備要求に対し、同意しても拒否しても、米国または中国との間に相当な軋轢が生じることは避けられない。しかも、日本の安全保障環境にとっていずれかの選択肢が決定的に望ましい、と言うわけでもない。であれば、戦後日本外交が得意とする〈見て見ぬふりをしてやり過ごす〉という奇手に流れていく可能性もある。どういうことか? 以下に順を追って説明する。
≪責任回避の論理≫
AVP 20号で説明した通り、在日米軍の装備の変更について、米国が日本政府との間で義務的に「岸=ハーター交換公文」に基づく事前協議を行わなければならないのは、核弾頭ミサイルを持ち込む場合である。今般、米国が配備しようと考えているミサイルは通常弾頭であるため、米側には日本の了承をどうしても取らなければならない〈交換公文に由来した義務〉があるわけではない。[xiii]
さらに、米軍には「いかなる兵器を実際に装備・配備しているかは運用上の問題であるため、対外的に明らかにしない」という方針がある。
そこで、日本政府としては米軍の運用上の問題には「関知しない」立場をとり、米軍が地上発射長射程ミサイルの配備を行うか否かについても敢えて尋ねないことにする。米国政府に対しては非公式の場で「ミサイルの配備について当方は何も言わない。だから、表立って協議した形にはしないくれ」と頼むのだ。言うまでもなく、これは米国のミサイル配備に対する黙認を意味する。だが、中国向け、国内向けには「日本政府は判断を下していない」という形に(理屈の上では)できる。公明党や野党の一部にとっても、自らの責任を免れることのできる〈都合のいい選択肢〉と言えなくはない。
≪前科あり≫
もちろん、相当に無理のある論理である。私も自分で書きながら、恥ずかしくなった。しかし、日本政府には、国際社会から冷笑されながらもこの種の無理を押し通した経験が少なくとも2回はある。一つは、冷戦期の米軍による核持ち込みと非核三原則の関係をめぐって。核兵器の配備について肯定も否定もしない(NCND)という政策をとる米軍に対し、日本政府は核持ち込みの有無を照会せず、「米国政府は日本に非核三原則があることを承知しているから、日米間の信頼関係に照らして核持ち込みはないはず」という趣旨の国会答弁を繰り返した。もう一つは、ベトナム戦争の際に在日米軍基地から米軍がベトナムへ派遣されていた時の事前協議の取り扱い。岸=ハーター交換公文の文言をそのまま読めば事前協議の主題となるべきだったが、日本政府は「米軍部隊が南ベトナムへ移駐した後に戦闘作戦行動の命令を受けるのであれば、事前協議の対象とならない」という国会答弁を行い、事前協議されることを拒み続けた。[xiv]
≪バレたときに白を切れるか?≫
2020年代の今日、社会は情報化し、政府の説明責任もきびしく問われるようになった。上記のようなやり方でミサイル配備の問題を〈やり過ごす〉ことが本当に可能なのだろうか?
何よりも、地上発射式ミサイルが在日米軍に配備されて〈バレずに済む〉とは考えられない。中国やロシアは衛星等で監視しているはず。日本政府がいくらとぼけても、「日本は米軍によるミサイル配備を黙認している」という証拠を突き付けられたら〈ぐうの音〉も出まい。内外を問わず、メディアや市民団体もスクープに向けて〈鵜の目鷹の目〉となるに違いない。
≪米国の都合≫
米国政府も、具体的な配備場所まではともかく、最低限日本に配備したことくらいは議会等で報告しなければならない、と考えるべきであろう。2019年8月、アンドレア・トンプソン国務次官(軍備管理・国際安全保障担当、当時)は「(米軍ミサイルの配備を受け入れるかどうかは)当該国の政治指導者が下す主権国家の決定である。いかなる決定も同盟国との協議を通じてなされるのであり、米国の一方的な決定となることはない」と述べた。[xv] THAADを韓国に配備した際も、米国は韓国政府の同意を取り付けている。
とは言え、日本政府がはっきりした形ではミサイル受け入れに同意できないと言い張る場合には、米国政府も背に腹は代えられない。〈肩をすくめて〉日本政府のお芝居に付き合う可能性もゼロではなかろう。
選択肢4. 日本がミサイル軍縮を仕掛ける
これまで述べた3つの選択肢はいずれも、米国(または中国)の要望にいかに応じる(背く)か、という受け身の発想に基づいた対応であった。これに対して、最後に検討する選択肢は「日本が米中に働きかける」という能動的な発想に拠ったものだ。
日本にとって最も望ましいシナリオは、東アジアに配備されるミサイルを今よりも低い水準で安定させること。それが無理でも、ミサイル軍拡競争に歯止めをかけ、安全保障環境の極端な悪化を避けることだ。しかし、AVP 第19号で述べたように、東アジアの客観情勢は、米国にも中国にもミサイル軍縮・軍備管理を本気で進めるインセンティブはあまり働かないという極めてきびしいものである。[xvi] その状況を打破するためには、日本が〈触媒〉となって米中と東アジアに有機反応を起こすしかない。成功の保証は何もないドン・キホーテ的な試みかもしれないが、このまま上記3つの選択肢の狭間でオロオロするよりはずっといい。トライする価値は十分にあると思う。
≪逆手にとる≫
具体的には、日本政府は米国と中国、場合によってはロシアに対し、東アジアで長射程ミサイルの軍備管理条約を締結することを要求し、その交渉期間となる数年間は米国による地上発射式ミサイルの日本配備を拒否する。この間にミサイル軍備管理交渉が進めばよし。中国の抵抗で交渉が進まなければ、在日米軍への地上発射式ミサイルの配備を認め、日本自身のミサイル長射程化も加速する構えを見せる。米国が対中交渉に熱意を見せなければ、在日米軍へのミサイル配備を認める場合でも細かい条件をつける。
≪日本自身が動きまわる≫
ただ単に米中にミサイル軍縮・軍備管理を呼びかけるだけでは、〈やった振り〉に終わる可能性が高い。米国は中国に形ばかりの交渉を呼びかけ、「中国が拒否したのだから在日米軍基地にミサイルを配備させろ」と迫ってくるだろう。日本政府は米中の間を行き来し、何が交渉推進のネックになるのかを知り、双方に打開策をぶつけるなど、積極的に動かなければ駄目だ。例えば、ロシアを入れた三極の軍縮・軍備管理体制でなければ、米国は興味を示さない可能性が高い。地上発射式長射程ミサイル配備の現状が「1,250対0」であることを考えれば、核弾頭やICBM等と抱き合わせにした軍備制限を提案して中国にインセンティブを与えることも必要かもしれない。[xvii] また最近、台湾も長距離ミサイル――おそらく、射程は1,200㎞のものが含まれ、中国内陸部にも到達可能であろう――の生産・配備を本格化させたことで問題はより複雑化している。台湾の緊張緩和や「一つの中国」の再確認などに手を広げない限り、中国がミサイル配備に関して妥協する見込みは極めて小さい。[xviii]
障害は気が遠くなるほどある。しかも、率直に言って日本政府にこの分野の専門知識や交渉ノウハウはあまりない。だが、〈悪あがき〉にも価値はある。米中双方の懐に飛び込んで汗をかくことで見えてくる米中の本音もある。ミサイル交渉が最終的に失敗すれば、日本自身が体感した米中の出方を踏まえて最終判断を下すしかない。その場合でも、悪あがきをしないで態度を決めるのに比べれば、ずっと〈したたか〉な判断が下せるはずだ。
≪多数派工作≫
国力の面で落ち目の日本が一国で頑張っても影響力は限られる。米中ミサイル軍縮・軍備管理体制に向けて韓国やASEAN諸国とスクラムを組めれば、日本の発言力は増える。ロシアを念頭に置けば、欧州諸国と共同戦線を張ることも追求すべきである。欧州諸国には軍備・軍縮管理条約の締結について日本よりも遥かにノウハウや経験を持っている。使えるものは何でも使い、組める国とはどことでも組む貪欲さが必要だ。
ヘルムート・シュミットの執念
最後に、米ソが1987年にINF条約の締結に至る前段階で西ドイツのヘルムート・シュミット首相がとても大きな役割を果たしたことを照会しておきたい。[xix] 社会民主党(SPD)に所属したシュミット(1918年~2015年)は、1974年から1982年までの間、西独連邦首相を務めた。SPDの政治家とは言え、軍歴を持つシュミットは保守政治家以上に「力の均衡」を重視するリアリストでもあった。以下、首相在任中のシュミットの動きを簡単に振り返る。
1970年代中葉、ソ連は中距離核ミサイルSS-20を配備して西欧全域をその射程に収めた。シュミットは「ソ連が(米国には届かない)SS-20で欧州を核攻撃しても米国は戦略核によるソ連攻撃を見合わせる結果、拡大核抑止が崩れて西ドイツがソ連に蹂躙される可能性が増大した」と危機感を強める。そして、米ソ間で交渉が行われていたSALTⅡに中距離核戦力(SS-20)を含めるよう、フォード/カーター両政権に迫った。しかし、対ソ交渉はそれでなくても難航しており、米政府はSS-20の問題を新たに持ち出すことを嫌がった。1977年10月、業を煮やしたシュミットはロンドンで演説を行い、「米ソに限定された――筆者註:「SS-20が含まれない」という意味である――戦略兵器制限は西欧の同盟国の安全保障を不可避的に損なう」と警告した。そして、SS-20がSALTⅡに含まれないのであれば、「西側同盟は大規模な軍備増強」に取り組み、東西の間で軍事力の均衡を維持すべきだ、と主張した。[xx]
同じ頃、カーター政権はSS-20に対抗する意味合いからも〈中性子爆弾の西欧配備〉をNATO同盟国に打診してくる。これに対し、欧州では反核平和運動が燃え盛り、西独国内でも中性子爆弾の配備受け入れに反対する声が強まった。リアリストのシュミットは、英国やオランダが中性子爆弾の配備を拒否する中で「配備を西独一国に限らない」等の条件をつけて党(SPD)内の反対論を抑え込み、1978年3月14日に中性子爆弾の西独配備受け入れを認める決議を西独議会に採択させる。ところが、欧州における反対論に怯んだカーターは心変わりし、1978年4月になって中性子爆弾の製造方針を取り消した。梯子をはずされたシュミットが激怒したことは言うまでもない。
中性子爆弾の配備を巡る混乱の後、米国政府はSS-20への新たな対抗措置として〈地上配備型の巡航ミサイルと中距離弾道核ミサイル(パーシングⅡ)の欧州配備〉の検討を始めた。シュミットは当初、パーシングⅡの配備がソ連を刺激して西独の東方政策を損なうことを懸念し、欧州に配備するミサイルからパーシングⅡをはずすよう米国政府に要求し、かつ「西独のみへのミサイル配備」には反対すると伝えた。最終的にはシュミットもパーシングⅡの配備を受け入れたが、西ドイツはイタリア、オランダ、ベルギーなどにミサイル配備の受け入れを働きかけ、各国政府の同意を得ることに成功している。
1979年6月、中距離核戦力(SS-20及びパーシングⅡ)を含まないまま、カーターとブレジネフはSALTⅡに署名した。同年12月、NATO理事会は〈米国が1983 年暮れから西欧に中距離核ミサイルを配備〉するとともに〈中距離核の制限及び削減の交渉を米ソ間で開始〉するという「二重決定」を承認する。
「二重決定」から約2週間後の12月27日、ソ連がアフガニスタンに侵攻したため、中距離核削減交渉(INF交渉)が始まる雰囲気は雲散霧消した。[xxi] しかし、シュミットはこの時もじっとしていなかった。盟友関係にあったサイラス・ヴァンス米国務長官を通じて〈ソ連を公然とさらし者にすべきではない〉と伝えたかと思えば、1980年6月末には自らモスクワを訪問している。ブレジネフと会談したシュミットは、独ソ長期経済協定に署名する一方で、ソ連がINFについて米国との「交渉に臨む準備がある」という言質を取って帰国した。
米ソ間のINF交渉は1981年11月に開始された。だが、交渉はその後も難航する。1983年11月にパーシングⅡの西独配備が開まると、ソ連側は交渉の席を立って1985年3月まで戻らなかった。INF交渉が急速に進展したのは、ゴルバチョフが登場して新思考外交を展開するようになってからのこと。シュミット自身は連立政権を組む自由民主党(FDP)との対立により、1982年に退陣を余儀なくされている。
おわりに
1970~80年代、西ドイツは米ソ冷戦の最前線に位置し、米軍が中距離核ミサイルや中性子爆弾を配備する際に最有力候補地となった。米中対立が緊迫化する今日、当時の西ドイツにあたるポジションにいる国は日本である。だが、この国にシュミットのような政治家はいるのか?
シュミットにしても、INF条約の締結に最初から成算があったとは思えない。だが彼には、自国の運命を米国やソ連に任せることがどうしても許せなかった。翻って戦後の日本外交を見れば、自国の運命を米国に任せ、自己決定から逃げてばかりだ。永田町も霞が関も小賢しい〈いい子ちゃん〉しかいない。米中間のミサイル軍縮・軍備管理という狭い道を切り拓く政治家の出現を切望する。その前提として、国民もリアリズムとリベラリズムのバランスの取れた思考をもっと鍛える必要がある、とも思う。
AVP では4回にわたって東アジア・西太平洋におけるミサイル軍拡問題を取り上げたが、本号で一区切りとする。この問題が表面化して日本政府(と我々)が追い込まれるのは、むしろこれからであろう。希望を捨てることなく、AVP のアップデートはこれからも適宜続けていく。
[i] 米軍ミサイルの配備を積極的な受け入れ、合わせて日本自身のミサイル能力強化を唱える議論としては、例えば次のようなものがある。America and Japan in a Post-INF World (warontherocks.com)
[ii] https://www.eaci.or.jp/archives/avp/307
[iii] Korea, Monthly Statistics of Tourism | Key facts on tourism | Tourism Statistics (visitkorea.or.kr)
[iv] https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-12-18/QLI8EMDWX2PU01
[v] https://news.yahoo.co.jp/byline/pyonjiniru/20210324-00229026/
[vi] 日本テレビの4月の世論調査では「アメリカは、外交や安全保障、人権問題などを巡り、中国に対する圧力を強めています。日本は、アメリカに同調すべきだと思いますか、思いませんか」という問いに対し、「思う」が 67%、「思わない」が22%だった。世論調査|日本テレビ (ntv.co.jp)
[vii] 米中対立時代の安全保障論議~その4. ミサイルが変える日米同盟|一般財団法人 東アジア共同体研究所 (eaci.or.jp)
[viii] この点を含め、末浪靖司氏から日米間の密約について丁寧なご指摘を頂戴した。詳しくは、同氏が米側文書等を丹念に調査して書かれた『日米指揮権密約の研究』(創元社、2017年)をご参照頂きたい。
[ix] America should not ask South Korea to host intermediate-range missiles (brookings.edu)
[x] 過去に日米の政府間で〈非公式了解〉があったとすれば、その再確認を求めてくることを含む。
[xi] 私の議論は「過去に日米当局間に所謂〈密約〉があったとしても、現在の日本政府がそれに縛られる必要はない」という考え方に立脚している。仮に「密約が今も有効で日本政府はそれに拘束されなければならない」という立場に立てば、日本政府に米軍のミサイル配備を拒否するという選択肢はなくなる。
[xiii] https://www.eaci.or.jp/archives/avp/322
[xiv] これらの点に関し、所謂「密約」の問題については前記末浪氏の論考を参照願いたい。
[xv] https://www.voanews.com/east-asia-pacific/us-says-its-consulting-asian-missile-deployment
[xvi] https://www.eaci.or.jp/archives/avp/308
[xviii] 台湾、長距離ミサイルの大量生産開始 | Reuters https://www.taiwannews.com.tw/en/news/4099431
[xix] この節の記述は以下を参考にした。横341-368(196-169)(板橋先生)念.smd (seikei.ac.jp) 10岸本和歌子.PDF (keio.ac.jp) U.S.-Russia arms control was possible once—is it possible still? (brookings.edu)
[xx] この時の演説でシュミットは「東西双方が軍事力を削減し、低いレベルで全体の均衡を達成できるのであれば、西側の軍備増強による均衡の達成よりもその方が望ましい」とも述べている。西側の軍備増強はシュミットにとって〈次善の策〉という位置づけだった。
[xxi] 大統領選挙を控えたカーター政権は西側諸国にモスクワ・オリンピックのボイコットを呼びかけた。シュミットは当初ボイコットに慎重だったが、結局は応じている。来年北京で冬季オリンピックが開催される予定であることや、バイデン政権がカーター政権以降では外交において最も人権を前面に出す政権であることなど、当時と現代との間には符合する点が何かと目につく。