2025年3月12日
はじめに
去る2月7日、訪米した石破茂総理は2期目を迎えたドナルド・トランプ大統領と首脳会談を行った。[1] 石破によれば、首脳会談でトランプから防衛費増額要求はなかったと言う。[2] しかし、〈金目に換算して米国の儲けを極大化するため、相手が誰であろうとディールを仕掛ける〉のがトランプであり、NATO加盟国には国防費をGDP比5%にするよう求めている。あと4年弱、日本だけが標的となることを免れられるとは考えられない。案の定、3月6日にトランプは日米安保条約の片務性に不満を表明した。日本政府がすぐに日米安保条約の改訂に応じることはあるまい。だが、現在予定している以上に防衛費を増やすことでトランプの矛先をかわそうとする動きが出てくることは想像にかたくない。[3]
トランプだけではない。3月4日、次期国防次官(政策担当)に指名されたエルブリッジ・コルビーは「日本はできるだけ早くGDPの少なくとも3%を防衛に費やすべき」だと公式に表明した。[4] これに対して石破は「日本の防衛費は日本が決めるものだ。他国に言われて決めるものではない」と気色ばんだ。[5] とは言え、その石破も2月17日の衆議院予算委員会では、2027年度よりも後の防衛費について、「安全保障環境を踏まえて積み上げた結果、必要であれば2%を超えることはある」と述べている。[6]
2022年12月に安保関連3文書が閣議決定されて以降、一段落していた防衛費の議論は、再スタートする雲行き。その際には、防衛費の対GDP比に注目が集まることが避けられそうもない。でも、そうなると気になることがある。
日本が「2027年度に防衛費をGDP比2%にする」方針であることは周知の事実であろう。しかし、その〈周知の事実〉について、国民のほとんどは大きな勘違いをしている。断言するが、現在の国家安全保障戦略の下、2027年度を迎えた時に「日本の防衛費がGDP比で2%になった」という評価を国際社会は下すことはない。日本国民も「騙されていた」と思うことになる。
AVP本号では、「2027年度に防衛費をGDP比2%にする」ことの実態を説明し、そこに隠されたトリックを暴く。GDP比とは、防衛費をGDPで割ったもの。その分子と分母を紐解いてみよう。問題となるのは、分母をめぐる一種の詐欺行為だ。
分子は〈広義の〉防衛費
まず、分子の所謂「防衛費」から見てみよう。
【防衛関係費=一般に考えられている防衛費】
従来、我が国で「防衛費」と言えば、武器・弾薬や自衛隊員の人件費など、基本的には防衛省の予算――正式には防衛関係費と呼ばれる――のことであった。[1][7] 参考までに、2024年度の防衛関係費(当初予算)の内訳を下記に示す。[1][8]
戦後長らく、「日本の防衛費はGDP比1%の枠に収まっている」と言われてきた。その場合の防衛費も、この防衛関係費のことだ。
【安全保障関連経費=防衛関係費+補完する取組の経費】
一方、現行の国家安全保障戦略で政府が「2027年にGDP比2%にする」と定めているのは、「防衛力の抜本的強化」と「それを補完する取組」の合計である。近頃は、両者を合わせて安全保障関連経費と呼んでいる。
ここで「防衛力の抜本強化」に当たる予算は、上述の防衛関係費のことと思ってよい。(正確には〈防衛力整備計画対象経費〉である。[1][9] )金額的には、2027年度までの5年間で総額43.5兆円を充てる予定だ。
「それを補完する取組」の方は、国家安全保障戦略で新設されたカテゴリーである。広い意味で防衛力の向上につながると考えられる、〈防衛省以外の省庁の予算〉のことだ。具体的には、以下のような項目が含まれる。[1][10]
◯ 海上保安庁の予算(国土交通省)
◯ PKO関連経費(内閣府)
◯ 衛星運用に係る経費(内閣官房)
◯ サイバー安全保障に係る経費(内閣官房)
◯ 防衛に資する研究開発(経済産業省等)
◯ 公共インフラ整備(国土交通省等)
◯ 同志国(フィリピン等)の抑止力向上につながる無償資金協力(外務省)
◯ 恩給費(総務省)
【水増し批判は見当違い】
政府は2027年度の防衛関係費を8.9兆円程度と想定している。一方で、同年度の「補完する取組」に係る経費は約2.1兆円と見積もられているため、両者を合計した安全保障関係経費は約11兆円になる。[1][11] この安全保障関連経費を2027年度にGDP比2%まで引き上げることが政府の目標である。防衛関係費だけなら、GDP比は1.6%強となる計算だ。[1][12]
「補完する取組」を分子に含めて2%を達成するという仕組みについては、自民党右派の一部などから、「防衛費を水増しし、数字だけ嵩上げしたものだ」という批判が上がっている。だがそれは、猪突猛進、素人議論の典型。耳を傾ける必要はない。
防衛費のGDP比を計算する時、分子に広義の防衛費(=安全保障関連経費)を持って来ることは、NATO加盟国の間でも一般的に行われている。言ってみれば、国際常識だ。にもかかわらず、財源もないくせに日本だけが〈狭義の防衛費〉にしがみついてGDP比を低めに算出し、諸外国から「日本の防衛費のGDP比は低い、もっと出せ」と叩かれるのは、まったくもって馬鹿馬鹿しい。
また、戦闘に直接関係のない予算であっても、武器・弾薬に勝るとも劣らない意味を持つものはある。例えば、民間空港の滑走路を硬くして有事に自衛隊機や米軍機を分散配備させれば、ミサイル等による破壊を免れるうえで極めて有効な方策となる。今日、軍用機は空中よりも滑走路で破壊されることの方がはるかに多い。このような「公共インフラ整備」を広義の防衛費(=「補完する取組」)に算入することには十分な合理性がある。他の項目についても、大なり小なり同様のことが言える。
分母は〈2022年度の〉GDP
ここまで読み進んだ読者は、「日本は2027年度に安全保障関連経費をGDP比2%にしようとしている」と理解しているはずだ。でも、その際に大半の読者は、「分子も分母も2027年度のもの」と思っているのではないか? もちろん、それが常識である。軍事データの権威とみなされるストックホルム国際平和研究所(SIPRI)も、「軍事費の対GDP比は、各年の名目現地通貨建て軍事費を、同じく名目現地通貨建ての各年のGDPで割ることによって算出される」と説明している。[1][13]
でも、日本の防衛費のGDP比にそんな常識は当てはまらない。分子の安全保障関連経費は2027年度のものだが、分母のGDPは〈2022年度〉のものなのだ。
これは私の暴言などではない。現行の国家安全保障戦略にはっきりと書いてあることだ。すなわち、「2027 年度において、防衛力の抜本的強化とそれを補完する取組をあわせ、そのための予算水準が現在の国内総生産(GDP)の2%に達するよう、所要の措置を講ずる」という記述である。
同戦略の閣議決定は2022年12月16日だったので、〈現在〉とは2022年のこと以外にない。つまり、「2027年度に日本の防衛費をGDP比2%にする」とは、「2027年度の日本の安全保障関連経費を2022年度のGDPの2%にする」という意味なのである。
ちなみに、2024年度の安全保障関連経費は8.9兆円、2022年度のGDPに対する比率は約1.6%だった。昨年4月26日に行われた記者会見で木原稔防衛大臣(当時)が下記のとおり発表している。[1][14]
令和6年度(2024年度)予算における防衛力整備計画対象経費は7.7兆円であります。また、主に関係省庁の予算、防衛省の予算ではない関係省庁の予算が主なものでありますが、補完する取組に係る経費については1.2兆円であります。これらの合計額は、8.9兆円であり、国家安全保障戦略策定時、これは令和4年度の2022年度でありますが、そのGDP比との比較で言うと、約1.6%となります。 (筆者註:木原は安全保障関連経費という言葉を使っていないが、発言中の「防衛力整備計画対象経費(≒防衛関係費)」と「補完する取組に関する経費」の合計がそれに該当する。)
2024年の名目GDPは609兆円。同年度の安全保障関連経費8.9兆円をこれで割れば、リアルタイムのGDP比は約1.46%になる。木原の言った1.6%はこの時点で既にかなり水増しされている。2022年の名目GDPは約560兆円だったのだから、驚くことは何もない。
2027年度の本当のGDP比は1.75%?
では、2027年のGDPを分母にした時、同年の「防衛費」のGDP比はどの程度になるのだろうか? 以下に試算してみよう。
国家安全保障戦略によれば、2027年度における「防衛力の抜本的強化」(≒防衛関係費)と「補完する取組」に係る経費の合計(=安全保障関連経費)は2022年の名目GDPの2%に達する。2022年の名目GDPは560兆円程度(前述)だったので、分子に来る安全保障関連経費は約11.2兆円となる。[15]
一方、内閣府が採用する将来的な名目GDP成長率で計算すれば、2027年の名目GDPは641兆円程度になると想定できる。[1][16]
これらを割り算すると、2027年度における防衛費(=安全保障関連経費)の対GDP比は〈約1.75%〉となる。逆に言えば、2027年のGDP比で2%を実現するためには、同年度の安全保障関連経費は約12.8兆円でなければならない。現在想定している水準では〈1.6兆円も不足〉する。
なお、2027年の名目GDPを求めるために用いた内閣府の想定成長率は民間想定よりも低めだ。実際の2027年のGDPは上記試算よりも上振れする可能性がある。その場合、日本の「防衛費」のリアルタイムGDP比は上記試算を下回る。
苦肉の策
2022年の安保関連3文書では何故、かくも不自然な定義を用いて2027年度の「防衛費」のGDP比2%目標を定めたのであろうか? いろいろな情報を総合すると、財務省の知恵(苦肉の策)だった可能性が高い。
安保関連3文書を作成した2022年当時、安倍派を中心にした自民党右派の議員たちは、「GDP比2%先にありき」で防衛費を大幅に増額するよう政府に圧力をかけた。財源の手当てや軍事的合理性は彼らの眼中になく、まさにイケイケドンドンだった。岸田文雄総理(当時)は当初、「GDP比2%にこだわらない」考えだったと言われる。総理大臣である以上、財源問題を無視できないと考えたのは当然であろう。しかし、性格的にも党内基盤的にも、岸田に党内右派を抑え込むことは期待できなかった。「学級崩壊」と揶揄された官邸・政府首脳についても同様だった。追い込まれた財務省は、言葉の上では「GDP比2%」を謳いながら、実態として防衛支出を極力抑えるために「現在(2022年)のGDPの2%」というスキームを提示し、〈落としどころ〉にしたのである。
最近は「財務省=悪玉」論が氾濫している。しかし、私はこの時の財務省に若干の同情を禁じ得ない。経済の停滞が続く中、自民党右派の議員たちが要求する規模の防衛予算増を可能にする財源はない。にもかかわらず、彼らは「防衛増税には断固反対」と来ていた。しかも、自民党右派には萩生田光一を筆頭に〈荒くれ〉が揃っていた。岸田総理に右派を説得して「2027年のGDP比で1.7~1.8%」と決めるだけの器量があれば、財務省も5年前のGDP比で数字を作るような恥ずかしい真似はしなかったと思う。[1][17]
おわりに~無理筋は持続不可能
自民党右派の無責任な防衛費激増要求を多少なりとも抑制するという観点だけから見れば、2027年度の防衛費をGDP比2%にする際にGDPの基準年を2022年にしたことは、財務当局のファインプレーという見方もできるかもしれない。でもそれは、いくら何でも無理筋だった。
今はまだ、国民のほとんどは〈トリック〉に気づいていない。だが、2027年が近づき、2022年が遠ざかるほど、基準年が2022年であることの不自然さは覆い隠せなくなる。実態に気づいた国民の政府に対する信頼は低下に拍車がかかる。今後予想される防衛費見直しの議論も大混乱することが避けられまい。[1][18]
防衛費のGDP比が国際的な議論になろうとしている今、国際社会が日本政府仕様のGDP比算出方法の異様さに気づくのも時間の問題だ。[1][19] 日本が世界から失笑されるのは実に恥ずかしい。「日本の防衛費はGDP比2%でも足りない」と主張するトランプ政権に余計な〈つけ入る隙〉を与える可能性も十分にある。
覆水盆に返らず、ではあるが、悪事はバレる前に自白した方がダメージはまだ軽い。政府には、「2027年の防衛費の対GDP比は1.75%程度を見込んでいる」と自ら表明し、ダメージ・コントロールを図ることを勧める。
[1] 日米首脳会談|外務省
[2] 【日曜討論】石破総理大臣 USスチール“単なる買収ではなく投資” 日米首脳会談めぐり 与野党が議論 | NHK | 日本製鉄 USスチール
[3] 既に、石破はトランプとの会談でC-17を念頭に置いて米製大型輸送機を購入する意向を伝えたとも報道されている。ただし、C-17の製造ラインは2015年に閉鎖されており、本気でC-17を導入するのであれば、製造ラインの再開費用や滑走路の改修工事を含め、兆円単位の出費を覚悟する必要がある。 石破首相、米輸送機購入に意欲 トランプ大統領に伝達:時事ドットコム 石破首相「輸送機は大きい方が良い」、米C17調達に意欲との報道で | ロイター
[4] 国防次官(政策担当)に指名されたコルビーが人事承認に係る上院軍事委員会公聴会へ提出した準備書面に記載されている。colby_apq_responses1.pdf
[5] 米 国防次官候補 公聴会出席“日本の防衛費GDPの3%にすべき” | NHK | アメリカ
[6] 首相、防衛費2%超に言及 27年度より後に「必要なら」|47NEWS(よんななニュース)
[7] 沖縄に関する特別行動委員会(SACO)関連経費と米軍再編関係経費は、防衛費に計上する立場(財務省)と計上しない立場(防衛省)があり、両者が併記されてきた。
[8] 防衛省・自衛隊|令和6年版防衛白書|3 防衛関係費の内訳
[9] 正確を期すために新しい用語を矢継ぎ早に持ち出しても読者を混乱させるだけだと思うので、このような扱いにした。防衛関係費は、防衛力整備計画対象経費にSACO関係経費(2024年度は116億円)と米軍再編関係経費の地元負担軽減分(同、2,130億円)を加えたものである。GDP比に与える影響は0.03%程度にすぎない。 20240207083.pdf
[10] 防衛省・自衛隊|令和6年版防衛白書|<解説>安全保障に関連する経費
[11] 「補完する取組」に関する経費の内訳は、海上保安庁予算やPKO関連経費などで0.9兆円程度、研究開発・公共インフラ整備・サイバー安全保障・同志国の抑止力向上等のための国際協力で1兆円程度、SACO関係経費・米軍再編関係経費のうちの地元負担軽減分で0.2兆円程度。(文末脚注10を参照のこと。)
[12] 2%×(8.9兆円/11兆円)=1.618%
[13] Sources and methods | SIPRI なお、数字が確定していない年については、推定値に基づいて計算される。
[14] 防衛省・自衛隊:防衛大臣記者会見|令和6年4月26日(金)09:45~10:12
[15] この数字は、先に挙げた防衛力整備計画や防衛白書の見積もりと大筋符合している。
[16] 2024年の名目GDP(609兆円)をベースにして、内閣府の「中長期の経済財政に関する試算」(2024年6月7月29日経済財政諮問会議提出)から名目GDPの成長率を2025年=2.8%、2026年=1.5%、2027年=0.9%と仮定し、計算したものである。r7chuuchouki1.pdf
[17] 「防衛費」のGDP比2%が2022年のGDPに対するものであることに対しては、政府も〈引け目〉を感じているようだ。この件に触れる場合には、GDP比2%の基準年が2022年であることの説明は〈端折る〉ことが多い。例えば、林芳正官房長官は3月5日の記者会見で「2027年度に安全保障関連経費の水準がGDPの2%に達するよう、所要の措置を講じてきております」と述べている。マスコミも政府に気を遣っているの、基準年が2022年であることに触れるのは稀だし、問題視する論調も見かけない。
[18] 日本の安全保障環境を考えた時、現在の安保3文書で定めた防衛力の増強ペースは速すぎるというのが私の見解である。そんな金があるのなら、教育や科学技術分野への配分をドラスティックに増やした方が、中長期的な日本の国力向上のためには遥かによい。 » 「国防バカ」がつくる欠陥戦略~ウクライナ戦争に学ぶ日本の防衛力整備⑤ Alternative Viewpoint 第47号|一般財団法人 東アジア共同体研究所
[19] バイデン政権下の米国防総省の担当者たちは、この事実を知りながら表立って問題視することを控えていたのではないか、と私は疑っている。