東アジア共同体研究所

友愛・スピーチ

沖縄戦遺骨収集活動に参加

以下、瑞慶覧長敏(東アジア共同体研究所 琉球・沖縄センター事務局長)より現場報告

シュワブ前を16時過ぎに離れ、そこから15分程北にある瀬嵩(せだけ)集落に向かう。そこには灯台あとの高台があり、大浦湾が一望できる。名護市議の東恩納琢磨(ひがしおんな たくま)氏と合流し、同市議の四輪駆動軽トラックに乗り込み急斜面を登っていく。助手席を拒否した鳩山理事長は真っ先に荷台に乗り込み先頭ムード満々、続いて川内博元衆議院議員、木村朗教授(平和学会理事、鹿児島大学法文学部教授)、中国の金哲教授、鳩山秘書が乗り込み頂上に向かった。なかなか見られない構図だった。『長敏さんは助手席』の鳩山理事長の一言で私は一人助手席へ。皆との共有空間を逃してしまった。

頂上からみる大浦湾はあまりにも美しく、一同『何て綺麗なんだ!』と叫ばずにはいられなかった。最近使い始めたというi-phoneで、鳩山理事長も360度グルっと動画撮影。その日工事は行われていないにも関わらず、オレンジのブイの外側にも漁船らしきものが多く目についた。日当5万円ほどで国に雇われた監視用の漁船とのこと。これも一種の地元分断工作だ。
琢磨市議のレクチャーの後ふもとに降りると、東京ご一行の観光バスと遭遇。『鳩山さん、頑張れ~!私たちも頑張ります!』とエールを交換。行く先々でそういう場面に遭遇する。嬉しい限りだ。

瀬嵩のあと大浦の食堂に入り、ソーキそばをほおばる。
鳩山 「沖縄に来たらソーキそば無しはあり得ない」
とのこと。
翌29日は、宜野座村にて沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表、具志堅隆松氏の遺骨収集活動に参加させて頂きました。
朝9時半に宜野座インターチェンジで具志堅氏や遺骨収集活動に参加される皆様と集合した後、宜野座村立博物館に立ち寄り、文化財担当主任の田里さんから遺骨収集に向けた事前レクチャーを受ける。当日は、参加呼びかけに応じてくれた一般の方々9名とみっちり1時間、展示資料や展示品を見学させていただいた。鳩山理事長も積極的に質問をあびせていた。

スンブク原へ移動。

この「スンブク原共同墓地」では「ガマフヤー」が宜野座村立博物館と連携して行った調査により既に3基の墓石が発見されている。
具志堅隆松氏の指導の下、午前11時遺骨収集開始。

現場は、砂浜でアダンの木などが群生しているところで、海からは20~30mしか離れていない。スコップを手に取り、穴を掘る作業だ。先着隊がいて、既に深さ2mほどの穴が掘られていた。その穴に入れるのはせいぜい2人。小さい穴だ。具志堅氏の指示で、鳩山も穴に入りスコップで砂を掘る。ほとんど砂で堀りやすいが、10回、20回とスコップで掘り続けるとたちまち汗が噴き出し、結構きつい作業だ。鳩山理事長黙々とその作業を続ける。

その日遺骨収集作業に携わったのは24~5名。鳩山理事長含め初体験の人間が14名。学生、大学教授、和尚、主婦と様々。カミンチュ(神人)の女性の方も参加され、現場で“祈り”をしてくれた。ガマフヤー具志堅隆松氏の経験者グループの方々は慣れた手つき。しかし皆さんもボランティア。それぞれがお仕事を持ち、その傍らで作業に参加されている。(作業という言葉はどうもそぐわないので止める)。

お昼はみんなで一緒にお弁当。海の側だからなのか、ガジャン(蚊)はほとんどいなかったので、ゆっくりと弁当が食べられた。

宜野座村は名護市のすぐ南に位置する。我々が掘った場所は、東海岸。辺野古までの距離もおそらく車で15分程度と近い。1945年4月1日に米軍が沖縄本島西海岸に上陸するが、その2か月前の2月から3月にかけて、沖縄住民の避難が急ピッチでおこなわれた。避難先が宜野座村や石川(現在のうるま市)、名護の東海岸に集中する。その構成のほとんどが女、子ども、老人。宜野座村立博物館の資料を見ると、なんと約20万人!が東海岸のあちこちの避難所に集結させられている。急激な人口移動はすなわち食糧難に直結し、結果的に栄養失調や病気で多くの命がそこで失われた。死体を埋めないといけない。その穴を掘らないといけない。そこにいるのは、女、老人、子供。穴を掘る作業も間に合わない。結局、一つの穴に2~3体を埋める。しかし、決まり事としては、1穴に1体。だから墓標は1つだけそこに建てる。死亡者名簿を作る余裕は当時なかった。(幸いにして名簿が残っている所もある)。

「70年経っても遺骨が特定出来ない大きな理由がそこにある」とガマフヤー具志堅隆松氏は言う。それでも、生きている遺族がDNA鑑定をすることによって、遺骨が特定される可能性はまだ残されている。その遺族の元に骨を返してあげたい。その一心で、ガマフヤー具志堅隆松はそこに向かう。

70年前の沖縄の捕虜収容所と今世界で起こっている難民避難所が重なって見えてしまう。いずれにしても戦争や紛争が引き起こしたものだ。犠牲になるのは常に一般住民。その構図は今も変わらない。福島にも共通する。

スコップを片手にそんな話をしながら時間は過ぎて行った。遺骨を見つけることは、その日できなかった。実は、我々が掘った場所での遺骨の発見は当初から困難だった。戦後、それぞれの遺族が掘り起こしていった可能性が高いからだ。だから、取り残しの小さな骨でも見つかればとの想いだった。14時過ぎまでスコップを握り続けた鳩山理事長は、『又、参加したいと思います』と皆さんに挨拶をして、夕方の便で東京に戻った。

この2日間は、非常に中身の濃いものだったのではと思ったりしている。そして、歴史と向き合うことがどれだけ重要か。改めて教えてもらったような気がする。(文責:瑞慶覧長敏)

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