東アジア共同体研究所

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【東アジア共同体研究所(E​ACI) News Weekly Vol.121 「青い眼が見た大琉球no.32 ペリー提督日本遠征記pt.11」】

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    EACI News Weekly 第121号(5月5日号)
  東アジア共同体研究所(East Asian Community Institute )
    http://eaci.or.jp/

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【目次】

【1】《今週のニュース 2017/4/29-2017/5/5》
  政治(6)、経済(3)、国際(2)、社会(2)

【2】《UIチャンネル放送予告 No.198》
 「北朝鮮”危機”」鳩山友紀夫氏×高野孟氏×田岡俊次氏(軍事評論家)
  http://live.nicovideo.jp/watch/lv297074331

【3】《EACIレポート》
  北朝鮮危機は回避されていた。犬猿の米中が分かり合えた複雑な事情
 (まぐまぐニュース/高野孟)

【4】《研究員コラム》
 「青い眼が見た大琉球 no.32 ペリー提督日本遠征記pt.11」
緒方修(東アジア共同体研究所 琉球・沖縄センター長)

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【1】《今週のニュース 2017/4/29-2017/5/5》
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【政治】
■エマニュエル・マクロン氏が勝利宣言
「フランスの新たな章が始まった。希望と信頼の章に」【フランス大統領選】
(ハフィントンポスト 2017.5.8)
http://www.huffingtonpost.jp/2017/05/07/france-election_n_16471982.html?utm_hp_ref=japan

■憲法改正 安倍首相の本気度は? 与党内で異論も
(TBS 2017.5.3)
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3044472.htm

■「非常に危険」「賛成」 首相「新憲法」発言に沖縄県内有権者
(琉球新報 2017.5.4)
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-489873.html

■NHK世論調査 憲法の改正 必要43% 必要なし34%
(NHK 2017.5.3)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170503/k10010970031000.html

■現行憲法「日本にとってよかった」89% 朝日世論調査
(朝日新聞 2017.5.2)
 http://www.asahi.com/articles/ASK4L528LK4LUZPS004.html

■辺野古唯一=「沖縄でよかった」 持続する差別の構造
(沖縄タイムス/金平茂紀の新・ワジワジー通信(25) 2017.5.4)
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/94912

■【社説】韓国大統領選挙D-1、最後まで細かく確認して投票しよう
(中央日報 2017.5.8)
http://japanese.joins.com/article/843/228843.html?servcode=100§code=110&cloc=jp|main|inside_left

【経済】
■「対日赤字、耐えられぬ」 米商務長官、貿易統計で異例の声明
(日経新聞 2017.5.5)
 http://www.nikkei.com/article/DGXLASGN05H0K_V00C17A5000000/

■日中韓の財務相「あらゆる保護主義に対抗」、共同声明に明記
(ロイター 2017.5.5)
 http://jp.reuters.com/article/japan-china-korea-meeting-idJPKBN1802VB

■「バイ・アメリカン」政策の行方は<1> 消費者(の大半)は気にせず
(CNN 2017.5.3)
 http://www.cnn.co.jp/business/35099896.html?tag=cbox;business

【国際】
■当事者の帰還(キム・ヨンチョル仁済大学統一学部教授)
(ハンギョレ新聞 2017.5.8)
http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/27283.html

■トランプと習近平の「蜜月」 アジア各国は「米中G2」を疑心暗鬼
(NEWSWEEK 2017.5.3)
 http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/05/g2.php

【社会】
■翁長知事「地方自治を保障する憲法を尊重」 憲法記念日で談話
(沖縄タイムス 2017.5.3)
 http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/96021

■「一緒に家に帰ろう」遺族ら1周忌法要 米軍属女性暴行事件
(琉球新報 2017.4.30)
 http://ryukyushimpo.jp/news/entry-487787.html

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【2】《UIチャンネル放送予告 No.198》
 「北朝鮮”危機”」鳩山友紀夫氏×高野孟氏×田岡俊次氏(軍事評論家)
  http://live.nicovideo.jp/watch/lv297074331
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 5月8日(月)20時からの第198回UIチャンネル放送は、軍事評論家の田岡俊次氏をゲストにお招きして、鳩山友紀夫×高野孟×田岡俊次鼎談「北朝鮮”危機”」を生放送でお送りいたします。

■第198回UIチャンネル放送
 【2】《UIチャンネル放送予告 No.198》
 「北朝鮮”危機”」鳩山友紀夫氏×高野孟氏×田岡俊次氏(軍事評論家)
 http://live.nicovideo.jp/watch/lv297074331

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【3】《EACIレポート》
  北朝鮮危機は回避されていた。犬猿の米中が分かり合えた複雑な事情
 (まぐまぐニュース/高野孟)
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 「東アジア共同体研究所」理事の高野孟の最新コラムがまぐまぐニュースに掲載されました。

  * * * * *

<米中協調で進む北朝鮮危機の外交的・平和的解決の模索──宙に浮く安倍政権の「戦争ごっこ」のはしゃぎぶり>

 米国と北朝鮮の双方ともが不確実性・不可測性の極度に高いトップを抱えているので、断言することは出来ないが、米朝が軍事衝突し韓国や日本をも巻き込んだ大戦争に発展する危険は、すでに基本的に回避されたと見て差し支えあるまい。

 転換点となったのは4月6~7両日の計5時間に及んだ米中首脳会談で、これを通じてトランプ大統領と習近平主席は、北の核・ミサイル開発問題に軍事的な解決はありえないこと、中国の北に対する影響力には限界があるけれどもまずは中国が北に核放棄を約束させるべく全力を尽くすことで意見の一致を見た。

 またそれと連動する形で、トランプは中国を為替操作国と認定するとの選挙公約をキャンセルし、協力してドル安=人民元高へと誘導していく「パートナー」として認め合った(本号FLASH 参照)。

 両々相俟って、同首脳会談を「G2時代」の幕開けと評価する見方も中国側では浮上している。安倍晋三首相には、この東アジアの潮目の変化は見えていないかのようである。

<米中首脳会談でのやり取り>

 トランプ自身は、米中会談について12日のウォール・ストリート・ジャーナルとのインタビューで、要旨次のように述べた。

【本当によい会談だった。……我々は非常に気が合った。

 彼は中国と朝鮮の歴史を語った。北朝鮮ではない、朝鮮だ。何千年の歴史があり、たくさんの戦争があって、そして朝鮮は事実上、中国の一部だったこともある。

 10分間ほど話を聞いて、私は(北朝鮮への対応は)そう簡単なことではないと気づいた。中国が北朝鮮に対して多大な影響力を保持していると、かなり強く確信した。しかしそれは一般的に思われている状況とは違う。

 中国との間には長年にわたり、何千億ドルという巨大な貿易赤字がある。そこで、私は(習に)言った。「すばらしい取引をしたいかね。それなら(中国が)北朝鮮の問題を解決することだ。それは貿易赤字を帳消しにするだけの価値がある」と。

 あのような国が核能力、核兵器を保有するのを認めてはいけない。大量破壊につながる。彼(金正恩)は今はまだ(ICBMという)運搬手段を持たないが、いずれ持つだろう。それで、我々(トランプと習)は北朝鮮について非常に開けっぴろげの話をした。我々は非常によい関係を築いた。大いに気が合った。お互いに好感を持ったし、私は彼がとても好きになった……。】

 同紙日本版の抄訳をベースにし、一部は英語版から翻訳して補ったがそれでも意味不明的な部分が残るのは、「英語が下手」と言われているトランプのことだから致し方ない。にもかかわらず、ハッキリしているのは、この会談を境に…(続きは以下アドレスより)

■《EACIレポート》
 北朝鮮危機は回避されていた。犬猿の米中が分かり合えた複雑な事情
 (まぐまぐニュース/高野孟)
 http://www.mag2.com/p/news/248352

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【4】《研究員コラム》
「青い眼が見た大琉球no.32 ペリー提督日本遠征記pt.11」
緒方修(東アジア共同体研究所 琉球・沖縄センター長)
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琉球王国との永久協定のための提案

首里城占拠の脅し

1853年7月25日、正午。ペリー艦隊は那覇港に投錨した。湾内を見ると、那覇に残されていた輸送船サプライ号がうねりで巨大な丸太のようにローリングしていた。数日間、海は荒れ狂っていた。台風の季節であった。今回(三回目)の琉球滞在は短く、ペリーはすぐに琉球の法律を緩和させるための交渉の準備に取りかかった。日本人との交渉がかなり成功したので、琉球人からもいっそうの譲歩を勝ち取る自信があった。
「一年の間、家屋の賃貸料を決定し、支払うこと。600トンの石炭を貯蔵しうる倉庫として便利な建物を本官が求めていること、密偵がわが士官の尾行を続けるならば、深刻な結果、おそらくは流血の惨事が発生するやもしれず・・」と書いた訓令書を渡して、すみやかな回答を摂政に迫った。
三日後、28日(金)に摂政、市長とペリー提督、アダムス参謀長との会見が持たれた。通訳は板良敷朝忠。会話はウィリアムズ氏を通じて中国語で行われた。
ペリーは二、三日中に中国へ出発するが二、三カ月後には再び琉球に戻る、その前にすでに伝えていた問題をすべて解決しておきたい、と考えていた。
正餐が始まった。摂政の態度は、堅苦しくよそよそしかった。12品のスープのうち七、八品が配られた時、摂政は手紙を取上げ提督のテーブルに進み出て差し出した。
琉球国の大きな印璽の捺された書簡だった。ウィリアムズ氏が開封し読み上げる。
「琉球島は小さくて貧しい。ベッテルハイム氏が住んでいるためさまざまな紛争が生じている、貯炭場を建設すれば琉球人の迷惑はますます増大するだろう。そのうえ、アメリカ人の使用に供されている寺院は、そのために琉球人には使えなくなり、僧侶はそこで勤行ができなくなってしまった。島の産物は少なく、茶、絹、布の全部、その他多くの品物を日本や中国から輸入しなければならないほどである、等々。」
ペリーは手紙が読み上げられると、それを摂政に返すよう命じた。
「われわれはすでに島内を歩いてまわり、土地が肥沃で、人民はつましく、あらゆる種類の物資が豊かであることを知っている。あなた方が貯炭所を建てるのがいやだというなら、われわれは資材を積んだ船を派遣して、自力で建てるだろう。」
そしてこう告げた。
「明日の正午までに、自分のすべての要求に対する満足な回答が得られなければ、200名の兵士を上陸させて、首里に行進して王宮を占領し、問題が解決するまでそこを占拠する。」

またしても恫喝である。琉球側は屈服した。翌朝10時頃には市長がサスケハナ号を訪れ全て受け入れる旨を通告した。貯炭所については、建設の準備にすでに着手し、寺については一カ月の賃貸料を受け取ることに合意。
「市場の出入りに関しては、一般人、とくに女性が問題だという話になった。」
ペリーが妥協案を出す。「その結果、アメリカ人が購入を希望するさまざまな国産物を販売するため、公館で市(バザー)を開くことになった。」
次の「日曜日はキリスト教の宗旨に背く」ので、艦隊の朝9時の出港の前、朝6時から市が開かれることになった。

滞在中に遠征隊の一部がティマ・グスコ(豊見城)を訪れている。
「豊見城が島の南端にあるというおおまかな指示を頼りに、現地人に出会うたびに質問区長で『ティマ・グスコ?』と繰り返しながら行を続けた。」
途中の公館では主人や近所の人々に乾パンやサケをふるまった。やがて豊見城に達した。
すっかり廃墟と化していた。「城と背後の丘陵を結びつける突端の部分は壕(ほり)で防御されているが、草木が密生しているためほとんど見分けがつかない。」と記されている。
そして「かつて琉球の領域を分有していた三人の王が本拠にしていた三つの城のうちの、南の城の遺跡に違いない。」と推測している。

8月1日(月)出航の日の朝6時、市が開かれた。
「市の場所に選ばれた公館には、各種各様の漆塗りの茶碗、皿、箱、芭蕉布の生地など多くの琉球の産物のほか、木綿や絹の帯、草履、真鍮と銀のかんざし、扇子などの琉球の服飾品、わが国のサンドイッチ・ケースとも言うべき重箱、煙管、大量の煙草などが豊富に品ぞろえされていた。」
そのうちにウチナーンチュたちは需要と供給のバランスを見極めた。値段を吊り上げ、同じ商品を二倍で売るものも出て来た。
やがて出発の合図が鳴り響き、朝8時にはペリー一行は香港へ向かって出発した。

しかしながらすべての艦がいなくなった訳ではない。
ペリーは「琉球人とアメリカ人の間の友好的な好奇心や好感情を維持するために」、「艦隊の一隻がほぼ常時琉球にとどまることが最も重要と考え」た。
こうしてケリー中佐の指揮するプリマス号が残った。ペリーの不在中、彼らはメルヴィル港(運天港)と島の沿岸の測量を行った。キンダカ島(久高島)、イチ―島(伊計島)、タキン
島(津堅島)などを調査し、伊計島の西側に避難港を発見している。

小笠原諸島の主島ピール島(父島)を再び訪れ、入植者8人が自ら自治政府を組織しているのが分かると、正式に占領した。「ピール島植民地」の名称で作られた3条13項から成る憲法が「遠征記」には載っている。
唯一、残留している白人のナサニエル・セイヴォリーが首席執政官に選ばれた。彼からペリーは一片の土地を購入している。
香港につくと、ペリーは香港駐在イギリス首席貿易監督官 准男爵J・ジョージ・ボンハム閣下にあてて、小笠原諸島についての見解を伝えている。

小笠原は、1825年にイギリスの捕鯨船が発見した、27年にはイギリス艦ブロッサム号のピーチ―大佐が正式に占領した(と言っている)。が、その3年前(注・ペリーによれば)の1823年にはアメリカの捕鯨船トランジット号のコフィン船長が訪れている。さらにその前、1675年には日本人が来航して「ブネシマ」と名づけている。
だから「イギリス政府は、初めて発見したという根拠で統治権を主張できないことは明らかであります。」と分かったような分からないことを言っている。
この論法で行けば、最初に島を訪れ命名した日本が統治権を主張するのがもっとも自然な道理、ということになる。
ペリーとしては一刻も早く港と貯炭所を確保しておきたかったのだ。小笠原で土地を手に入れたのは「個人的利益はまったく念頭になく、正当な目的から購入した」と強調し、さらに次のように付け加えている。
「それはまた、貯炭所として港内で唯一の適切な地点が非道な投機者に買収されるのを防ぐためでもあります。そうしておかなければ、投機者たちが強欲な地価の吊り上げを目的に、この土地を取得してしまっていたかもしれないのです。」
要するにイギリスに対して「最初に上陸したのは、イギリスではなくて日本が先だよ、だから君たちに権利はないの。悪い奴が狙っているのでアメリカが押さえておくぜ」と勝手な言い分を並べている。
琉球に対しても、「いささか道義心に欠ける列強」がやってくるかもしれないので、早く保護すべき、とおせっかいなことを考える。

大琉球を監視下に置く!?

ペリー艦隊は1853年には琉球を3回、日本本土を1回訪れた。年末には次のような手紙をワシントンに出した。

1853年12月24日及び1854年1月25日付けのワシントン宛書信。
「我が米国政府が琉球国に新たなる活力を与えるべく、保護の手を差し伸べることは理にかなった行き方かと存じます」、「我が方よりも、いささか道義心に欠ける列強のあるものが、当然のことながらすでに我が方の手中にある権益の奪取に触手を伸ばす可能性は必ずしもあり得ることでもなかろうかと思えるからです・・。」

なんという野郎自大!。ペリーは琉球を監視下に置くことを考えている。
「我が政府当局の指示あるまで日本国の属領であるこの大琉球島を我が星条旗のもとに我が国の監視下に置くとの所存でおります。」

しかし海軍長官は、すぐさまペリーの進言を却下した。
「大統領は、議会の賛同なしには同意できかねる、とのことでした。・・島の一つを掌握すべきではないでしょう。仮にも、将来一旦掌握した島に関し、何らかの抵抗運動を惹起した上、再び返還しなければならないような事態に至れば困難を極めることは必至です。それ以上に、そのような島を維持するのに兵力を常駐させるとなれば、出費はもとより、色々な点で差し支えが出て参りましょう。」

以上のやりとりは「遠征記」には載っていない。「沖縄 島人の歴史」―ジョージ・H・カー(山口栄鉄訳)より引用した。

ペリーは8月7日から約5か月間にわたり香港、マカオ、広東を巡る。日本を脅かした後、アメリカ西海岸に戻った訳ではない。中国海域におけるアメリカの商人たちは生命や財産の保護を求めていた。もともとペリーは春になったら(中国海域から琉球・日本へ)北上しようと考えていた。しかし11月末にはフランスの提督が突然極秘命令を受けて海上に出た。ロシアのプチャーチン提督は長崎から到着して上海にいる。ロシアが日本に引き返し江戸に行こうとしているのではないか、そうなれば面倒だ。ペリーは計画を前倒して実行することにした。真冬の日本の沿岸には嵐や霧の危険が待ち構えている。にもかかわらず日本へ向かう。

1854年1月20日~2月7日、四度めの琉球訪問。琉球人たちの態度は変化していた。
「街の人々は外国人を大変親しげに見るようになり、避けることもなく、女性ですら市場から逃げ出さずに、露店の店番を続け、異国の闖入者を気にしないようだった。」
琉球の地形、土質、鉱物、農業資源については詳細に調べられた。米やサトウキビ、竹の使用法、人口、言語、宗教に至るまで。「琉球に関する提督の目的はすでに十分に達せられた。」
ふたたび日本へ向かう準備が始まった。
帆船を何隻かあらかじめ江戸湾に向けて出発させ、蒸気船は追いかけることとなった。

ペリー、琉球島の暫定的掌握を宣言

二度目の日本国への渡航を前に提督は次の宣言書を公表した。
江戸において我が方の要求する諸事項が確保されるまで、提督の名において琉球列島を
「暫定的」に掌握すべく、「下士官二人と兵員15人に以下の任務を命じる:彼らは、島に残り米国政府に属する諸物件及び関連物資、資産の監督、監視にあたるものとする」

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